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産後うつ記録:親であり子でもあるわたし①

先の記事で、「両親の子」である自分というワードが出たので、今回はそれについて書いてみます。
里帰り中の話ではないので、少し横道にずれてしまいますが、いずれまた里帰りの話も書きます。

これはわたしにとっては産後うつを語る上で、どうしても避けて通れないポイントの一つでもあります。

というのは、産後うつの一因として、両親との関係があると思うからです。
より正しく表現するなら、両親との関係によって築かれた自分という人間のキャラクターが影響しているのです。


結婚する前、姉と会話をしていてふと、両親についてどう思うかという話題になったことがあります。
「こわい(畏れ)」という姉に対して、わたしはすかさず「わたしは好きだよ」と答えました。

「こわいとかは考えたことがなかったけど、好きだよ」

姉は「わたしはそんな風に、速攻ではっきり好きとはいえない。すごいね」と言いました。
その時のわたしは全く理解できなかったのですが、今ならわかります。
今のわたしなら答えは、「距離があるくらいでちょうどいい」。
それは、結婚・出産・育児を経て、親は別に正しくもなんともないただの人間だということを知ったからです。
それから、この生き辛さの一端は、両親によって育まれたということも。

今は「ここは両親から受けた影響だな」と冷静に見つめて、それが正しいのかそう出ないのかを見極める作業をしています。
また、だからといって自分の苦しいことをすべて両親のせいにするのではなく、自分の問題として解決法を探すこと。
いつまでも甘えている自分にも、結婚・出産・育児を通して気づくことができました。


両親とのエピソードで、忘れないのは「わたしがどんなに手のかかる赤ちゃんだったのか」という話です。
これは、寝ない、飲めない、皮膚が弱い、疳の虫が強いという風に、わたしが手のかかる赤ちゃんだったという思い出話。
物心ついたことから、両親からそのような話を何度も何度も聞かされてきました。
「あなたの赤ちゃんの頃なんか〜〜〜」と、大変だった思い出が続くのです。
両親、特に母にとってはただの懐かしい話だったようですが、聞かされるわたしはその度に身の縮む思いでした。
わたしは赤ちゃんの頃からダメな子だったんだ。

この「赤ちゃんの頃から」というのもポイントで、幼児期にはすでに「自分はよくない子」の意識がありました。
お転婆でよくものを壊したり、夢見がちで危ないことをしてみたり、妹が好きなあまり手を出しすぎて喧嘩になったり。
そんなわたしの様子を見て、両親やまだ同居していた祖父母が「どんならん」と評していたのを知っていたからです。
この「どんならん」は、「どうにもならない」で「手がかかって困った子」という意味です。
大人の目線では、「手がかかる可愛い子」と言う意味合いも含んだのでしょうが、わたしは文字通り受け取っていました。

表面上、気が強くて頑固なところがあり、大人たちの言葉に傷ついた様子は出しませんでした。
もっといたずらをしてみたり、自由奔放にしてみたり。
今思うと、セルフイメージが「どんならん子」になっていて、そこに突き進んでいたようです。

成長したわたしは、転校生になり、ある時非常に困りました。
転校経験のある方はわかるかもしれませんが、学校によって同学年でも「校風」と言うのがあるのです。
以前の学校では流行っていたものが、次の学校では全く知られていないとか。
男女が仲良くて一緒に遊んでいたのに、次の学校では一緒に遊ばないのが普通になっていたり。
また、授業の進み方も大きく異なるので、全く習っていない単元や、重複して学んだこともあります。

とにかく、転校すると次の学校に本当の意味で「馴染む」のは、並大抵のことではないのです。
友達を作ることは幸いにも割と得意で、転校によって一人ぼっちになったりいじめにあったことはありません。
しかし、よく何かちょっとしたことで、感覚の違いを感じることがありました。
そして転校を繰り返すうちにどんどん自分の中の確固としたものが失われました。

自然体の自分ってなに?
田舎からやってきた、訛りのあるお転婆な女の子?
都会から越してきた、標準語を話すなおしゃべりな女の子?

前の学校での常識を信じたまま次の学校へ行くと、笑われる。苦い顔をされる。
だから、前の学校の「情報」は持ったまま、他の子達のやることなすこと目を皿のようにして観察する。
失敗しないように。全然違うことをしてしまわないように。
その土地の方言を話せるようになれば、周りはもうすっかり昔からいたように扱ってくれる。
自分自身は異分子だと感じていても。

自分が何をどうしたいかよりも、どうすればこの新しい集団に自然に馴染むか。
いつも「本当は新参ものなのに」と何処か引け目を感じながらの学校生活でした。

これは子ども時代に自分に撒かれた種までの話です。
わたしが成長し、大人になる頃に爆発のようにこの種は発芽するのですが、長くなるので次の記事にします。


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