産後うつ記録:親でもあり子でもあるわたし②
前回の記事はわたしの幼少期から転校生として過ごす小学校時代までについて書きました。
そのなかで書いた通り、成長とともにわたしはどんどんアイデンティティというものを見失っていました。ただ実際のところわたし自身、自分が自分を失っていることに気づいていなかったのです。
今回の記事は、「親の言葉がけで子どもは自分を認識してしまう」という話をします。
ネガティブなセルフイメージになった理由は親の言葉がけだった
生まれた時から手のかかる子だった。
わがままで頑固でお転婆で、どうにもならん。わがままで頑固で、家族からは呆れられている。
これは親から言われた言葉から、自分に対して持っていた「わたしの人物像」です。このセルフイメージは今思えばかなり幼い時からあり、自分の中では姉妹のなかで自分は完全に1番劣っているとおもいこんでいました。
1人年齢が離れていて、お姉ちゃんとして確立されている姉。外見についても可愛いと言われ、親に怒鳴られるようなことはしない妹。
運動をしても1番トロくて鈍臭いわたし。外見も「頼りない」と言われ、中身も一番手がかかると言われ。もう、姉妹の中では1番ダメなんだなあ。。。
いつもいつもいつも、親から怒られるのはわたし。自分では自分ばかり悪いことをしているとは思えないけれど、怒られるのだから悪いのかもしれないーーー。
でも、両親の怒っているセリフを聞いても、納得できない自分がいました。
良くない言葉や良くない行動をとっているらしいとはわかるのですが、それがダメであるという指摘をされるばかり。表現がいけなかったとはいえ、伝えたいことは受け取ってもらえず、フラストレーションは溜まるばかり。
つまり、両親からの対応は、受容なしの問題点指摘の連続だったのです。もしくはシャットアウト「うるさい」。
両親の言った言葉は、すべて間違いだったわけではありません。
本当に手のかかる子どもだったし、わがままも言いました。年の近い妹がいて、自分に注目して欲しい気持ちが強い分、より強く親の気を引こうとややこしい子どもだったと思います。
でも、「なぜ、こんなことをしているのか?」と言う部分に焦点を当ててもらえず、「癇癪だから」「わがままだから」と、叱る、放置する、怒鳴るの対応では、子どもの心は満足せずもっともっと気を引こうとしてしまいます。間違いなく悪循環でした。
すると、わたしの中にはこんな間違った理論が生まれました。
「どうせそんな人間なんだから、イライラとわがままでいればいい」ますますの悪循環です。
子どもを持ちたいと願ったとき、セルフイメージが壁になった
このような幼少期〜学童期を過ごした結果、わたしは冒頭のように自分のことを認識し、「めちゃくちゃイライラしやすくて、人に対して攻撃的で、わがままな人間である」と思い込みました。
ですから「だからわたしは結婚や出産には向かない人間だ」と、ずっと思って生きてきました。でも実際は、夫と付き合うようになってこの人と結婚したい、この人の子どもが欲しいと思うようになりました。
そしてとうとう、自分に自信のない、母性にも自信のないわたしが出産・育児することとなってしまったのでした。
ずっと「親は正しいもの」と信じて、「色々あるけど大好き」と思ってきた両親。しかし、育児をしていく上で考えたり勉強したりするうちに、両親が親として与えてくれたものに疑問を感じることも増えました。
当時の今の育児の違い。時代の違い。親がその親から与えられたものの違い。
理由は色々あるのでしょうが、親を模範とするのではなく、自分で考えて学んで我が子に向き合わなければいけないというのが、今の結論です。
現在は実家からかなり離れたところに住んでおり、年に数回会う関係です。
今でも両親は娘が至らないことがあると、昔のわたしにしたように対応します。それに対してわたしは、必要なら言い方を変えるように求めたり、娘のフォローをします。すると大抵、父はキレて、母はわたしを諌めます。両親は変わりません。
わたしのやり方、子どもとのこと関わり方について説明しても、「じゃあ勝手に育てろ」と言われるので、もちろん勝手に育てています。
親が必ず正しいと思わなければ、両親の発言に惑わされず、シンプルに自分たち夫婦のやり方を信じることができるようになりました。
今わたしは、自分の中の小さなわたし(つまりインナーチャイルド)を抱きしめて慰める作業をしています。当時の自分がして欲しかった対応を探って、それを与えてあげることで、今の自分を支えています。
親の言葉は、子どもにとってとても大きな意味を持ちます。
いつも優しい言葉、子どもの求める言葉ばかりを掛けることは難しいけれど、親がすべてじゃないと我が子たちには教えていきたいと思っています。