有名税が高すぎて払えない人もいる
こんにちは。
牧 菜々子です。
有名人は、プライベートを犠牲にしても仕方ない。
それは、有名税だ。
そう言われていることを、私たちは知っています。
ですが、「有名税が高すぎて払えない人もいる」ということは、全然知られていません。
有名になったことによる犠牲や負担が、得られたものよりも上回ってしまったら。
それは、収入以上に税金を納めることを強いられるようなものです。
所得税だって、半分なんです。
有名税を払うにも限界があることが人々に理解されない状況は、以前世間を賑わせたある事件と通ずるものがあります。
その事件とは、「おせちの中身を空のまま発送した事件」です。
おせちの注文を受けた以上、元旦に届くように完成品を発送しなければならない。
でも、マンパワーが限界を超えた。
それでも、おせちの箱がスカスカのまま発送するという事件が起きた時、私は「人間社会もついにここまで来たか」と思いました。
これはちょっとこの先いろいろと変わってくるな、と。
話と、人とが、結びついていない。
「注文されたおせちは当日に届けるものだ」という話に、人の限界が考慮されていない状況。
有名になった本人が、「有名になったらプライベートが犠牲になっても仕方ない」という話に、自分の限界を結びつけていない状況と同じです。
話と、人を、結びつけて判断しなければ、これからの時代は命に関わります。
今は、新しい価値観と古い価値観が、両方混在しています。
その上、価値観がひっくり返るスピードはどんどん遅くなっています。
どうしてかというと、古い価値観を持つ人たちの世代が高齢化で長生きしている反面、新しい価値観で産まれてくる人たちは少子化で数が少ないからです。
世代の入れ替わりが完了するスピードが、鈍化している。
だから、新しい価値観に移行するスピードが速い人は、世の中とのギャップがあるので、自分の人生に対する満足度が下がってしまいます。
世の中を変えにくく、不満が蓄積するからです。
ですがその代わり、どんなに身分や境遇が違う人とでも、同じ話ができる余地がある時代です。
世の中の価値観がひっくり返るまでのスピードは遅くなっていますが、個人の価値観は、世代で括れるものではありません。
どんなに身分や境遇が違う人の中にも、話が通じる人はいます。
こんな時代は、転換期の今だけです。
そもそも、人の力には限界があります。
おかしな現実に合わせられないこともあります。
と同時に、人の限界というのは、私たちが思うよりもずっと尊く、豊かさに満ちたものでもあります。
有名税は高すぎて払えないものなのだとわかった時、その先にある新しい道には、豊かな世界が広がっているはずなのです。