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整理していたはずの これまでの記憶 2021年5月 いろんな波が押し寄せて すべてが散乱してしまった 脳内整理と 空き容量を 確保するための 手段でもあり 人生で やってお…
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2013/4/26/blogより

2013/4/26/blogより

久しぶりに
アクション起こした気がするな

昔もそうだったな

誘われて~とかっていうスタンスじゃなくて

自分の意志で
自発的に一歩踏み出したら

事が良い方向へ
向かって行きました

ちょっと
調べたいことがあって
昔のblogを覗いてたら

こんな一節が、、、

なんだか
鳥肌が立った

あの頃
気付いてたんだって

驚いた

過去の自分からの
メッセージ

blog→日記って
やっぱり

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知らないうちに守られてる

知らないうちに守られてる

昨日の夜
開いた本に
京都のお店や地名が出てきて

私の記憶の中の京都のことを
記しておきたくなった

母方の親戚が
京都で暮らしていて

私が中学に進学する前
おばちゃん(祖母の姉)と
再従兄弟たちと一緒に
春休み中を京都で過ごした

再従兄弟たちの中でも
私は最年少

お兄ちゃんが欲しかった私は
寝ても覚めても
一緒に過ごせるのが嬉しかった

親戚の家は
蹴上の都ホテルの近くにある
古い木造の

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長い長い夜

長い長い夜

最近

寝つきが悪いのは

お昼寝のし過ぎかもと
自覚しながら

今日に至っては
雨音のせいだけど

眠れないなら
寝なくてもいいやと

開き直って

こうして
メモったり

興味のある人の
言葉をたどったり

悪循環の渦に
自ら身を投じて

二燭光の
仄かな橙を飲み込むような
天井を眺めながら
ふと
幼少期も
こうして
夜をやり過ごしていた事を思い出す

弟が救急車で運ばれたり

仕事絡みで

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緑色のシロップをソーダで割ってバニラアイスを乗せたやつ

緑色のシロップをソーダで割ってバニラアイスを乗せたやつ

母が仕事に出ることになり

何処かで
しばらく働いた後だったか

飲食店をやっていた
祖母の弟夫婦と
祖母と母とで
レストランをすることになった

大学の近くで
学生さんをターゲット

私が小学2~3年生の頃だったと思う

レストランの仕事が終わって
うちに帰ってくるのは
私が寝る頃

放課後~それまでの時間は
祖母の姉
我が家では
おばちゃんと呼んでいたが
その
おばちゃんが
私の夕飯の準備や

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手紙というツール

手紙というツール

中学生になると
成長の差も減ってきて

むしろ私より
小さかった男子が
どんどん追い抜いていって
私を見下ろすようになる

家では
相変わらずの
反抗期

学校が
自分らしく居られる場所だったのは
救いだった

部活に明け暮れながらも
生徒会でも活動

表に出ることも
緊張は
すれど
どうにかこなせていた

みんなが下校した後も
暗くなるまで
生徒会室で
作業したり

遊んだり
話したり
そんな時

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世代間ギャップ

世代間ギャップ

私が結婚するまで
長崎で
祖母と母との3人暮らし

母は働いていたので
夕御飯の準備は
祖母が請け負ってくれていた

学校給食の調理員でもあった祖母
栄養のバランスを重視しつつ
私の好みも配慮しながら
工夫してくれていたと思う

「眠れない」が口癖で
不眠症に悩まされ
自律神経失調症

今思えば
祖父が他界した頃から
だったのかもしれない

よく眠れる音楽とか
アイマスクとか
アロマとか

いろい

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ミレニアムの渦

ミレニアムの渦

結婚願望が強かったよね

高校時代の友人も
短大時代の友人も

口々に
そう言った

そうかぁ
そうだったんだ

自分のことでありながら
周りに
気付かされることがある

客観視
出来ていないのか?
自己を省みる余裕が無いのか?

友達から見た私を
教えてもらうのは
嫌では無い

私の居場所

私が
私らしく
生きられる場所

そして
頼れる人のそばで
安心して
生きられる場所を

いつの頃からか

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弟

私が10月生まれ
弟は翌年の9月生まれ

年の差は
1歳離れていない

私が1歳になる前
弟が母のお腹に居た頃

二世帯住宅が完成して
引っ越しをした

詳しいことは
未だに
聞けずにいるけど

その時に
母の体調が急変して早産

妊娠6ケ月
1000gくらいで
弟は生まれてきた

かなり長い間
保育器に入っていて

一緒に暮らし始めるには
相当時間がかかったんだと思う

手術もしたけど

脳性麻

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方眼紙

方眼紙

小学4年生の頃

斜面地の家を売って
引っ越すことになった

50段くらいある
家から道路までの階段
そこを
母が弟を抱えて登り降りするのも
この先
限界があると判断したのだ

校区内に建設中の
マンションに引っ越すことになり
弟も暮らしやすい
特別仕様にしてもらう予定で
話は進んでいた

そうは言っても
家が売れる前提

何組かの家族が
うちに見学に来たりして
幸いにも
早い段階で買い手は見つか

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父

父が写った写真は
ほとんど
母が処分してしまって
私の手元には無く

父の欄に
名前と生年月日が
書かれている
この母子手帳だけが
その存在を感じる
唯一のモノである

仕事柄
ほとんど家に居ない父

帰って来るとなると
母たちも
バタバタしだす

お父さんが帰ってくる

玄関の扉を
覆い尽くすような
大きな
ゴリラみたいな人が来る

私も
なんだか
ドキドキする

嬉しいというか
どうしたらいい

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祖父

祖父

私が1歳になる前
母方の
祖父母が
斜面地に
2世帯住宅を建てた

祖父母と
私たち家族とが
一緒に暮らせるように

母も
紆余曲折あって
一人娘だったし

父は
遠洋漁業の船に
乗っていたから

仕事に出ると
何ヵ月も帰って来ない

そういったこともあっての
ことだったんだと思う

父が居ない生活は
日常だったし

寂しいという感情も無くて

祖父が
穴埋めを
してくれていた

祖父は
大工だっ

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ワープ

ワープ

暗黒の闇から
ワープして

新しい友達と3人で
新しい遊びを始めた

それは
私が書いた詩に
友達が音をつけるというもの

詩は
自分帳の延長のようなもので
わりと
さくさく量産

ただ
問題は
自分のイメージとは異なる音を
友達が持ってくること

分かりやすく
顔に出ていたようで
長続きするはずもなく
いつの間にか終息

でも
その子たちとの時間は
ありのままで居られることが多かったし
楽しめて

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闇

いくつものノートを
掛け持ちで
あれやこれや書き続ける日々

学校でも
交換日記を巡って
いろんな問題が出てきた

あの子が
文句を書いてる、とか

仲間に入れてもらえない、とか

小6女子に
ありがちな
面倒くさいやりとりを
一通り経験し

そうこうしているうちに

ある日
うちへ遊びに来ていた友人に
「自分帳」を奪われ
読まれてしまう、、、

終わった

真っ白になる

その子のことも書いてた

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自分帳

自分帳

ある頃まで
いわゆる
実物の
三次元の
「ノート」が相棒で
私のすべてを受け止めてくれていた

人よりちょっと早く
成長期がやってきた
小学校高学年

興味・感心が
人とは違う気がして
友達と呼べる人は居たものの
本心を語り合えるほどでは無かった

小1の頃
両親が離婚

まもなく
祖父母も離婚

普段は私と
仕事で忙しい母
大正生まれの祖母
3世代
女3人の日々

週末
隣町の施設から
車椅子の

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