方眼紙
小学4年生の頃
斜面地の家を売って
引っ越すことになった
50段くらいある
家から道路までの階段
そこを
母が弟を抱えて登り降りするのも
この先
限界があると判断したのだ
校区内に建設中の
マンションに引っ越すことになり
弟も暮らしやすい
特別仕様にしてもらう予定で
話は進んでいた
そうは言っても
家が売れる前提
何組かの家族が
うちに見学に来たりして
幸いにも
早い段階で買い手は見つかった
ただ
引渡すのは
マンションが完成する前
しばらく
別の借家で暮らすことになった
古くて狭かったけど
商店街のそばで
とても便利の良いところだった
ある日
犬の散歩から帰った祖母が
母と私に
こう言った
時々
散歩で通るところに
気になってた空き家があって
久しぶりに通ったら
建て直されて
売り家になってたから
見に行ってみようか?
そこは
私が通っている小学校から
程近く
商店街や電停にも近い
マンションより
コンパクトだけど
立地的に
価格は上だったと思う
散々迷って
マンションの業者とは
ちょっと揉めたりしながら
結局
その家に
暮らすことになった
今の実家である
弟が
足が不自由だったことで
家を引っ越すという経験
家って
住む人にとって
暮らしやすさや
条件が異なること
その選択の仕方を
そばで見てきたこともあってか
暮らす人にとって
一番良い家を作る仕事をしたい
いつしか
「建築士」になることを夢見ていた
もしかしたら
祖父が大工だったことも
影響してたのかもしれない
始めの頃は
新聞広告の
住宅の平面図を集め
もし
そこに自分が住むとしたら?と
家具などを書き込んで遊んでいた
休みの日
何処に行きたい?と聞かれたら
迷わず住宅展示場!
実際
何度か連れて行ってもらった
見学は
もちろんのこと
ハウスメーカー毎の資料を
もらって帰ってきて
家でも楽しむ
でも
やっぱり
決められた枠では
納まりきれなくなり
しだいに
自分で
描くようになる
そうして
落書き帳から
そのキャンバスは
方眼紙に
イメージした家
その家がある街まで
妄想したりしていた
方眼紙上の夢の街
A4サイズを継ぎ足して
気がつけば
部屋を覆い尽くす
大きさになっていた
その夢は
中学・高校でも引き継がれ
環境デザインや
建築科のある大学を受験
同時に
家を出て一人暮らしをする夢も
大きくなり
県外の国公立
ボーダーギリギリの選択
見事に玉砕した
母子家庭だったし
浪人する気力も無く
自宅から徒歩圏内の
県立の短大へ通うことになった
短大では
被服を学び
毎日のように
縫製の課題に追われる
よくよく
振り返ると
ものつくりは好きだったし
洋裁自体も嫌いでは無かったが
色彩学やデザイン
住居学や住居デザインの授業が
楽し過ぎた
課題のドールハウスは
厚紙をベースに
昭和な一軒家を作り
時間を忘れて製作した
教職過程も履修して
母校の中学校へ
教育実習にも行った
5才しか変わらない子どもたちに
自分が教えることなんて、、、
とてつもないプレッシャー
そして
一人一人と向き合いたくもあり
眠れない
食べれない
2週間
身が持たないと思った
小・中・高と続けてきたバスケを
子どもたちと一緒に出来たこと
恩師のコーチの傍で
指導者側の視点で携われたことは
嬉しかったし
楽しかった
でも
やっぱり
建築・住宅に携わりたい想いを
捨てきれず
祖母に反対されながらも
卒業後
バイト代と奨学金で
CADのコースがある
駅の近くの専門学校へ通うことにした
キャンバスは
ディスプレイへ
でもやっぱり
手描きが好きだし
いまだに
方眼紙が好きである
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