言葉の無い会話
会社での話。
昨日、事務の先輩が午後から不在だった。先輩が出かける準備をして席を立った時、「今から出かけられますか?」と、私は声をかけた。
正直、出かける予定を直接的に会話した訳ではない。全体の予定表に記載があるから知っていただけ。仕事の引継ぎ事項は特になく、お互いに不在の予定があっても会話は無いことがほとんど。
昨日の場合は、出発時間が未記載だったために、確認した。何故なら私は、先輩が不在の時は、『電話番や荷物の受け取りを、代わりに率先してやることになる』からだ。わざわざ引継ぎの説明を要する程のことでもないので、『口頭での会話が生まれないこと』にも違和感は無い。そういう【暗黙の了解】みたいなものだと、私なりに解釈している。
私の問いかけに対する先輩の反応は、「うん、もう行くよ。あと、一昨日m__lovemiさんが発注依頼していた荷物が午後届くから、受け取ったら開封していいよ」という話だった。私は「分かりました」とだけ言って見送った。
しばらくすると、荷物が届いた。いつも通り受け取って、内心『先輩が言ってたやつかな?』と思いながら開封した。すると、他にも同封されていた品物があった。けれど、私でも分かる範囲の物達だったので、それぞれに配置した。ダンボールの処理に関しては、最近の先輩のパターンが読めなくて少し困った。リサイクルに出す時もあれば、必要な時の為に別で保管している時もあるので、『どっちが正解なのか』分からなかった。でも、どちらにしても折り畳んだ状態にはしているので、私も折り畳んだ状態にして事務所内に置いた。そして、いつもならきっと、複数まとまった時に回収ボックスまで運ぶ流れだと私は認識していた。
私の中では、上記の対応に【私なりの意図】があってのことだった。とりあえず行ったことは、納品書と共に付箋紙に【メモ書き】で残した。なので、あとは『先輩がそれに気づいて理解して貰えれば、それで良しだ』と思っていた。
ところが今朝。その付箋紙に返答があって私の机に貼ってあった。読んでみると「ありがとうございました。」の後に「出来ればダンボールは片付けて欲しいです」とのこと。最初こそ、『え、それ、付箋紙でメモして返すことなの?』って感じに思った。直接会話にする訳でもなく、メモ書きの会話。『んまぁでも、それが先輩のやり方なんだな』って思って納得した。私は、朝一で大人しくダンボールを片付けた。
今思えば、「実は対応に迷ったんです」と言えば、次に繋がるのかもしれないけれど、まぁいいや。ダンボールの片付け1つで、【大した影響】がある訳でもないし、言ってしまえば、『先輩の感覚の話だよね?』なんて思う。直接的に指示があった訳でもなく、【私が私の判断でしたこと】に対する【先輩の反応】だっただけ。決まったルールがある訳でもない。【人】として『自分が開封したなら片付けなさいよ』ってのは理解出来る話だしね。
ただ、正直なところ、【メモ書き1つ】で『色んな方向性の解釈が出来る』と思った。実際、少し前の私なら、確実に今回とは異なるだろう。『自分が至らなかった』とかで【自責】に思うか、逆に『そんな反応されてダルいな、もう余計なことしたくないわ』と【ネガティブ&反抗的】に思うか。『両方とも考えられる』のが、【過去の私】の心境だ。
そうなると、その後の私の【心境】は、『更に複雑化する』一方だ。【先輩の反応そのもの】に対する【私の解釈】は、確実に遠のく。『厄介な性格だったな』と我ながら振り返る。そんな【思考・性格】では、先輩のメモの意味が無い。先輩の【意思表示】の大切なメモ書き。メモ書きだけど、【先輩の意図】があってのこと。『私が私の意図があった』様に、それを【受けた先輩】には【先輩が思う私に対する意図】があるはず。つまりはそれは、【メモ書き】だけど【互いの意図】を知り得る為に大切な会話。【互いの感覚】を【共有する、伝え合う意味】を持って生まれる『行動になるんだ』と私は思った。
【お互いの行動や言動】から【お互いの印象を持つ】ことと同じ様に、【お互いのやり方1つ】で【お互いが思うこと】がある。【やり方】に対しても、【中身・内容】に対しても。【言葉】が無くても、【言葉】にしなくても【生まれる会話】みたいなもの。いちいち【私だけ】が【ネガティブな感情】や【相手に対する捻くれたイメージ】を『持ち続ける意味』もない。
同時に、『第三者に対して』も同様なこと。今の配属先に来てからは、特に、度々目の当たりにしている。【皆それぞれの人達】に対して『何かと思っている』こと。ただ、それを別に【悪くは言わないこと】が本当に多い。『そういう人だから、こっち側が合わせた対応をしている』みたいな話もよく聞く。特別怒っている様子も無い。ただ【単純】に、『彼はこんな【一面がある】から、その時は僕はこうしてる』とか『この人の、【この一面だけ】は理解できない。こっちも言うことは言うけれど、それ以上は仕方ないもんね』とか。
何て言うんだろうか。私の感覚で言うと【根に持たず割り切った大人な反応】って印象。私もきっと、どこかで誰かしらが、『何かと思っていたり言われたりしている』のかもしれないけれど笑
ただ、私は、前の会社にいた頃、そんな【人間関係】に対しては、その都度結構な『エネルギーが必要』だった。なのに今の現場では、それが【当たり前】かのように見える。最初こそ、【感情的な人が少ない=人間味が少ない印象】だった。けれど、今では慣れた。そして、【それが当たり前なんだと思う認識】と共に、【元々考え過ぎだった自分の思考回路】が変化していった。
【周りの人達】に対して【思うこと】も【考えること】も、少し前の自分よりは確実に減っている。【自分】が思う程、【周りの人達】は気にしていない。『気にしたところでしょうがない・意味がない』なんて感覚。また、【周りを気にすること】なんかよりも【今、自分が優先すべきこと】がある。みたいに見える。
言いたいこと言って、やりたいようにやって。でも【仕事】さえこなしていれば、【社会人】として【組織的に稼働している】のであれば。もしかしたら【問題ない】のかもしれない。だって、【仕事】だから。『人としてどうよ?』ってことの【限度】はきっとあるものの、【全て】においてではないのかも。【全部】に対して【主観的】な『見方や考え方』をしていたら。その都度『疑問や問題視』していたらキリがないんだろうね。
どれだけ【今の自分】に【直結する影響】があるのかって話。言ってしまえば、今回の話はどこまで行っても仕事の話。『仕事的に支障が無い』のであれば、『回り回ってたとしても自分が困らない』のであれば。【それでも気にする人】がいる一方で、意外と【スルーしている人達】なんて、『山ほど居るんだろうな』って感じ。
そういうのも含めて、【言葉の無い会話】ってもの『実はあるのかも?』って話。【社会人】として生きる上で、『今更気づいたんかい!』って感じたけど(笑)私の中で整理してみたよ。