意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その4.02 受験に集中した高校時代の自分を壊ずし自由を取戻した日々 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
大学生になり新しいことに次々と挑戦して自分の殻を壊していました。
教養課程の体育分野でも大学ならではスキーを選び、しかもスキーが人生の友となったのです。そのスキーの授業に敢えて自動車で行ったのですが…
失敗談2連発。
小学生時'代に本格的な勉強のスタートが2年遅れた分を取り戻せず、その2年遅れを最後まで背負って希望の大学に入学しました。そして、弱冠20歳にて4度目の
意識的に自分の殻を壊す
です。
教養課程の体育分野でも大学ならではスキーを選択しました。その辺りまではこちらをお楽しみ下さい。
自動車免許も取り、祖母の車を譲り受け授業が行われるスキー場に向かうのでした。
自動車免許も挑戦して取得していました。
その教習も座学は良いのですが、唯一運転教習で問題が…
何故か子供の頃から左右が苦手でした。概念が相対的過ぎて…
例えば自動車の前に立つとハンドルは左に付いて居るのに右ハンドル。車の運転席に座れば右に付いて居るから右ハンドル。
友達に自分から見て右にある物を取ってというと、自分から見て左の物を取ろうとする。
教習所では右に曲がって下さいと言われたら野球のボールを投げることを想像して右を認識する感じでした。
当時はオートマチック免許はなく、5ナンバーフルサイズ(時代的には外車を除けば最大のサイズ)のセドリックのコラムシフトでクラッチ操作と合わせて運転という感じ。
数回シフトとクラッチ操作に気を取られて左右を間違えましたが、それでも何とか合格できました。
そして祖母からの車、ブルーバードU。
L16という1600ccのエンジンで円盤状のカタツムリが横になった様なエアクリーナーにキャブレター。ですがとても良く走りました。4ドアセダンだったのですが、2ドアのスポーツとデザインが似ていて、今のポルシェの4ドアセダンに似たコンセプト。
4ドアセダンだったのですが、2ドアのスポーツとデザインが似ていて、今のポルシェの4ドアセダンPanameraに似たコンセプト。
おばあちゃんもセンスが光っていました。
車の整備にも挑戦。祖母は殆ど乗っていなかったのでバッテリーが寿命でした。新しいバッテリーを取付けるなら大容量のものにと自分で大容量バッテリーに交換。その時アース側の配線がピンと張って居たのですが、まぁ自動車なので安全係数(安全率)は充分取っている筈だから大丈夫だろうと配線の交換はしませんでした。
電子工学を学んでいた時の元鉄道総研の方の交通機関の安全に関する講義を思い出していました。交通系の方のエンジニアリングに対するリテラシーは充分に理解したと思っていました。ですから万が一故障してもフェイルセーフに設計してあるとも。
こんな背景で先ずは休日に2回人工スキー場に丸1日という授業に行きました。自宅からは1時間程度。目的地は人工スキー場、狭山スキー場でした。
朝早めに出たのですが下りとは言え昭和の時代、渋滞にハマりつつ… 遅刻が心配。ところが何かバッテリーが弱い感じ。ラジオの音が変。ということで給油がてらガソリンスタンドに入ってバッテリーを見てもらうと、充電不足ということで1時間急速充電をしました。お陰で授業開始に遅れてしまいました。
ショック
人生で遅刻は殆どはしたことが無かったので結構ショックでした。
帰りも次第にバッテリーが弱くなる感じ。運良く自宅までたどり着けました。電子工学も学んでるので、自動車の回路は古典的な電気工学、自分で調整できるはず。ここも挑戦。当時は電子燃料噴射等無く簡単な電装系。まぁ怪しいところからと太いバッテリーケーブルのアース側を見たらビニール被覆の中でコードが断線していました。
疲労破断。
張力が掛かっていて、しかも振動で金属には厳しかったのですね。確かにアースケーブルは余裕を持った長さでした。だから大型バッテリーでも接続できたのでした。しかし張力が掛からない設計。そうです。私が設計の想定外の使い方をしたことが原因でした。
ですから当然新しい長めのケーブルに交換して問題は解消しました。考えが足りなかった。自動車整備デビューは苦い経験でのスタートでした。
自動車での次の大きなチャレンジは東京から長野の山奥のスキー場までの往復。
つづく