杉山先生 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
中学校2年生の頃の話しです。時は晩春。
その年の冬に浅間山荘事件が起こつたばかりで
好奇の目で学生運動を観察していたおませな中学生だった私も、流石に過激な学生運動には嫌悪感を感じていました。
私自身は、中学生なりに荒廃した学校の中で、学内正常化に向けて多數のヤンチャな先輩と一部それに感化された同級生と対峙していました。生徒会副会長という立場で建設的な活動をしていました。薄っぺらい活動にならないように、でも中学生でお金が無かったので、主に市民大学講座等NHK教育放送と総合放送の知識を源泉にして自分なりの世界観を固めて居ました。
その意味で中学校の社会科の授業は網羅性を保って基礎を固めるよい機会と捉えて居ました。市民大学講座等に比べると専門性は低いのですが、それでも楽しく授業を受けていました。
ある時、社会科担当の杉山先生が
「婚姻の自由」に関する意見を生徒に問いました。
手を上げると、数回目に差されました。自信を持って
「結婚するしないは全くの個人の自由、不可侵という理解だ」
と言いました。
すると意外にも真っ赤な顔になって「婚姻しない自由」に関して怒られました。主旨は
「次世代を残す為に婚姻し子供を設け、教育することが義務である」
ということでした。中学ながら
“強烈な違和感”
を覚えました。
しかし、この議論は今でも鮮明に覚えています。教育者としてはこの課題を私の心に焼き付けたという意味で成功ということでしょうか。
当時は世界人口爆発が人類の課題でしたが、今は2065年にピークアウトするという時代。
そこまで見越した先見性か。