memento mori その5 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
宗教という古典的なソリューションが今でも有効な場合もあるというお話。
経緯
私の人生は幸せだったと言い切って他界されたというお話の続編。
大人の絵本ブームの火付け役といわれるヨシタケシンスケさんの長編作品「メメンとモリ」との出会い。
その1は、その作品とラテン語の「いつか死が訪れることを忘れるな」という言葉の件が引っかかったというお話と、そもそもこのラテン語をnoteでの作品を通じて教えてくださったmemento Mori(モリ)さんのお話、おニ人の力強い生き方、個性に脱帽したというお話。
その2は、奇しくもその翌日に身近な人がコロナウイルスに感染して、既往症を悪化させて他界。しかも実は昨年末にも上述の既往症がコロナウイルスで悪化という全く同じパターンでのコロナ禍が身近で起こっていて、同じことが繰り返されていることを悔しく思ったというお話。
その3は、私の人生は幸せだったと言い切って他界された方に生前充分そう言える人生のお手伝いができたというお話。
その4は、そのパートナーの方が静かな心でその運命の日を迎えられたというお話でした。
今回は、そのパートナーの方が喪主でのキリスト教式の儀式での偶然のお話です。
人生でキリスト教式の儀式に初めて参加したのは、自宅付近の教会の日曜学校でした。父が外交官を目ざし外国語大学に入学したものの第二次世界大戦に伴う学徒動員で勉強ができず、戦後外国語大学の担当教授がキリスト教系の大学に移籍されたので、その大学に入り外国語を学んだのです。父は死への恐怖を強く意識していて、外国語と並行して哲学を学んでいました。海外だけではなく西田幾多郎、和辻哲郎などの国内の哲学者も含め当時の学生としての一通りのメニューをこなして、たどり着いた一つの方向が担当教授の影響もありクリスチャンになることでした。地方都市でのワークキャンプにも参加する程で、結婚式も大学の教会で挙げました。洗礼も受けJon(Joseph)というクリスチャンネームもありました。ワイシャツの腕の部分にJSTとイニシャルを入れていたのは、子供ながら印象に残っています。理系的にはJSTは日本標準時(Japan Standard Time)って感じなんですが(笑)牧師になろうと思った時期も有ったようです。
とは言え父的には死への恐怖のソリューションという位置づけなので教会に通っている姿は見たことがありません。学び尽くしたということなのでしょうか。なぜ私を日曜学校に通わせたのかは未だに分かりません。私も半年ぐらい通っていましたが習慣化しませんでした。
ちなみに私自身イスラエルに駐在したことがあり、エルサレムには何度も訪れています。
ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、
キリスト教の聖地「聖墳墓(せいふんぼ)教会」、
イスラム教の聖地「岩のドーム」
と3大宗教の聖地ですので、海外からのお客様や自社の出張者向けに十分説明ができる程度には宗教を学びました。キリスト教もその一つでした。
無宗教ですが、それでもそんな経験はしています。
父の他界に当たっては、母が地元のお寺に儀式をお願いすると宗派も何も考えず提案し、私が流石に洗礼を受けているからと父の母校と同じ宗派の教会に相談に行きました。しかし教会員でもないどころかそちらに通ってもいないので丁重に断られました。結局、結婚式まで挙げた父の母校に相談し、学校系列の教会を紹介され、そちらで無事人生の一貫性を担保させて頂きました。
このような経緯で父の儀式が1回目、今回が2回目という感じでした。
その儀式を司取った牧師さん。
とても上品な感じで、しかも話が要領よくまとまっていて、少し斜に構えていた私の心にすっと入ってくる感じです。難しいことを分かりやすく、メッセージ性も有りました。今までの宗教関係の方と比べると、秀逸。正にプロトコルが合う感じでした。
ポイントは、
①天からこの世に来て仮の幕屋(テント、この場合肉体)で過ごし、また天に帰っただけ
②なので肉体にはお別れするものの本人とのお別れではない
(故人が折ある(愛を授かる)ごとに感謝の意を示す性格だったことに触れ)
③愛は与え、授かる双方向性が有り、愛の授かり方は精緻な配慮が活きる
の3点。
斜に構えていた私の心を捕まえて記憶に残した、基本に忠実なプレゼンといったところでしょうか。この牧師さんを含め参加者全員が集って1時間程度会食する機会がありました。相対的に和やかな会話が続き、その中でその牧師さんは、
·今我が子夫婦が住む地方都市の出身であること
·大学が私と同じ大学の理工学部卒でかつ学年も同じだったということ
がわかりました。私は大学を学部で卒業して鉄鋼会社の研究所に入りましたが、牧師さんは修士課程まで進学されたそうです。勿論理工学部卒業後に再度他大学の神学部を卒業されているのですが。
ですから同じ理系ということで話のプロトコルが合ったのだと感じました。
不思議な体験でした。
偶然とは言え、その発生確率の低さを考えると奇跡的だと思います。
つづく
蛇足
そもそもイエスキリストは宇宙からあるいは時空を遡って来たのでは?
と感じた話は次回に閑話として。
頭を整理してお伝えしますね。