見出し画像

雑感記録(368)

【世界と生活への眼差し】


先日、谷川俊太郎が亡くなったというニュースを早朝のスマホ、Yahoo!の通知で知った。狭い画面、狭い帯にたった数文字。それだけで表現されてしまうことに僕は個人的に心が苦しくなる。仮に自分の身内の死をたった数文字で、Yahoo!の通知で知ると考えてみるとどうだろう。何だかその「死去」という言葉で全てを包含してしまえる言葉に難しさと、どうしようもないやるせなさを僕は感じてしまうのである。

これは正直な肌感なのだけれども、谷川俊太郎は詩の重鎮としての存在感はある訳だが「文学」という色眼鏡を掛けてしまった時にわりと微妙な感じがする。例えば、「詩」というものを「文学」の俎上に載せてみた場合、大概が僕等のよく知るところの萩原朔太郎や中原中也、三好達治、北原白秋などなどである。現代に時代が下って行くと吉岡実や、吉本隆明、天沢退二郎、入沢康夫、吉野弘、吉増剛造、中村稔とかそこら辺だろうか。そういった人たちが印象として在る。

しかし、谷川俊太郎はその「文学」という俎上に載せられることを拒むような感覚。それこそ、谷川俊太郎が自身で語っていたように、「ことばあそび」として「文学/非文学」という括りには決して乗らないのではないか。それによって何か「文学」という1つのジャンル、ひいては「詩」というジャンルそのものを超越し、「言葉」という根本原理的なものを熱心に考え続けてきた人なのだと思う。

 *言語は大変複雑な構造をもっていて、簡単にわりきることはできないんですが、かりにそれを実用的なことばと非実用的なことばという軸で分けてみたとすると、たとえば法律の条文、商売のほうの契約書、自然科学の論文、新聞記事、器具の説明書など、ふだんの生活の中で耳にしたり目にふれたりすることばの多くは、いわば実用的なことばですね、私たちの日常会話の大部分も、そうだといえる。だけどたとえば、そういう日常会話の中でも、ちょっとした冗談を言って人を笑わせたり、その場の雰囲気をやわらげたりということもあるでしょ。
 そういう冗談はべつに実のあることを伝えているわけじゃないんだけど、建具屋さんがふすまと敷居の間に適当な〈あそび〉をつくるように、人間の心と心の間にゆとりをつくる働きをするんだと思います。これはすでに広い意味での〈ことばあそび〉と言ってもいいんじゃないでしょうか。考えてみると、赤ちゃんが初めて聞くことばは、決して実用的なことばじゃありませんね、〈いないいない、ばぁ〉とか、〈ちょちちょち、あばば〉とか、母親は意味のない〈あそびことば〉で我が子に話しかける。

谷川俊太郎「ことばあそびをめぐって」
『ことばを中心に』(1985年 草思社)
P.240

とにかく、僕の中で谷川俊太郎という人は「詩」というよりも「言葉」が好きな作家の1人であるということを言いたい。長い間に渡り詩を書き続けている訳だが、どこか他の詩人たちとは一線を画していると僕は思っている。これは自分が谷川俊太郎の1ファンであるという贔屓目も当然にある訳だけれども、それでもやはり谷川俊太郎の詩は凄い。というより、谷川俊太郎の言葉が凄いのである。

他の詩人たち、読まれている詩人たちというのはとかく詩論が多い印象を受ける。とりわけ萩原朔太郎なんかは詩の理論的なものを数多く残しているし、吉本隆明なんてその最たるものだろう。詩人はある種「詩」そのものへの飽くなき探求をする。これが当然の姿勢と言われてしまえばそれまでなのだが、しかし谷川俊太郎はどこか違うのである。僕が好きなエッセイ集である『沈黙のまわり』に収録されているエッセイを読むとそれが物凄く分かる。少し引用してみたい。僕の好きなエッセイからだ。

 或る時、ひとつの作品を前にして、私は涙を流している。これこそ詩なのだ!と私は心に叫ぶだろうか。私は決して叫ばない。詩であるかないかは、ひとつの感動の前ではとるにたらない。私は人間の言葉を読み、その言葉によって自身を知り、自身を知ることで人々を知る。それで十分だ。
 詩に目覚める必要がどこにあるだろう。私は唯一の行動の途として、言葉を探し続け、それが詩であるかどうかは、敢て自ら問わない。詩ではないといってそれを責めることは徒労だ。言葉ではない、といって責めてほしい。詩であれ劇であれ散文であれ、人間の言葉になり得たならば、それでよい。
 私の求めるものは詩ではない。言葉だ。人々だ。それ故にこそ、私は詩人を僭称する。詩人とは詩を書くものの謂ではない。言葉のために決意するものの謂だ。

谷川俊太郎「詩へのめざめ」『沈黙のまわり』
(講談社文芸文庫 2008年)P.54

僕はこの部分に非常に感銘を受けた。僕は詩や小説もそうだが、どうしても理論的な部分ばかりに着目して読んで「素晴らしい」と感じることが多い。それもそれで勿論面白い訳で、自分にとっては愉しいことに変わりはない。だが、その作品そのものに対して「どうしてそれが好きなのか」と理路整然と説明出来てしまう自分が時々、自分自身で詰まらないと感じてしまうことがある。そこに描かれることを自分自身の言葉で説明出来るということに悦に浸っていたのであるし、現在もその節はある訳だ。

しかし、人間生きていれば様々な物事に出会う。そこで様々な感情を抱く訳だけれども、それを全て言葉に還元しようとしてしまうのは自分と世界の関係を無理矢理に理性的に捉えようとするには限界があると感じた。僕は常々、「言葉で伝える努力はすべきだが、言葉で全てが全て伝わる訳ではない」ということを書いている。正しくそれを堂々と詩人という詩を創る側の人間が言っているのには心底救われた。言葉で説明出来ないことの方が世の中沢山存在する。言葉で何でもかんでも表現できてしまうと考えている僕が如何に浅ましい人間かがよく分かる。

言葉について考える為の1つの方法としての詩である。

詩を愉しむということは難しいと僕は常々思う。小説なんかとはまるで違って、独特の表現?とでも言えば良いのか分からないけれども、でも少し違う表現がされる。無論、僕はその表現に心を惹かれることは何度もある訳だ。とある詩の一節を読み、感銘を受けて「カッコいい」と思ってしまう事なんて実際幾らでもある。しかし、それはそれで詩が読めているという悦に浸りたいだけの僕の傲慢にしか過ぎない。

とここまで書いてみて、自分がふと「言葉と身体性」という部分で記録を付けていたことを思い出す。その時は、「主語とかそんなもん変わるだろ」という友人と、そこに拘る僕とというような感じで書いた。よくよく振返ってみて、今から僕が書こうとしていたことは正しくここに収斂する。谷川俊太郎の詩のどこが良いって、言葉に身体性が伴っているということなんだな。って思ったという話である。

じゃあ、言葉に身体性が備わったと言うが、具体的にはどういうものなのか?と聞かれたとしよう。僕自身これには少しばかしの明確なものを以ていて、「声に出して読んだ時に何度も読み返したくなる言葉であるかどうか」というのが個人的な基準点となる。僕は少なくとも言葉で書かれている作品は僕らが普段話す言葉で書かれる(と信じている。昔は書き言葉と話し言葉が区別させられている。現代も言ってしまえばメールの定型句「平素よりお世話になっております」や「ご理解賜りますようお願い申し上げます」などの文言が存在しているということを考えると、未だそういうものであるということは参れもない事実ではある訳なのだが…)。

それに冷静に考えて、僕等の生活には不可避的に言語と接さざるを得ない現状がある。世界を捉える為には言葉は不可欠な存在であり、我々が言葉を持たないという選択肢(言葉の種類は何でも良い訳だ。例えば日本語や英語。それにフランス語やドイツ語、中国語、スペイン語などというように世界には各種様々な形態は異なれど、同じ言葉、記号と読んだ方が良いのか?そういったものを所与されるのである)はほぼ考えられないであろう。

谷川俊太郎の好きな詩の1つにこういう作品がある。

地球へのピクニック

 ここで一緒になわとびをしよう ここで
 ここで一緒におにぎりを食べよう
 ここでおまえを愛そう
 おまえの眼は空の青をうつし
 おまえの背中はよもぎの緑に染まるだろう
 ここで一緒に星座の名前を覚えよう

 ここにいてすべての遠いものを夢見よう
 ここで潮干狩をしよう
 あけがたの空の海から
 小さなひとでをとつて来よう
 朝御飯にはそれを捨て
 夜をひくにまかせよう

 ここでただいまを云い続けよう
 おまえがお帰りなさいをくり返す間
 ここへ何度でも帰つて来よう
 ここで熱いお茶を飲もう
 ここで一緒に坐つてしばらくの間
 涼しい風に吹かれよう

谷川俊太郎「地球へのピクニック」『愛について』
(巷の人 2003年)P.42

僕はこの詩が好きなのだが、声に出して読むのが1番好きな詩でもある。何よりも世界というものを言葉で捉えようとするその愛情?というと仰々しいかもしれないが、それが存分に溢れている詩であるなと感じるのである。地球という言葉に対して最初に書かれる「おにぎり」「なわとび」。そして、「熱いお茶」というように、僕等の生活に根差した言葉が垣間見える。壮大な地球という世界の中にある小さな宇宙としての日常みたいなものを僕はこの詩を読むとヒシヒシと感じるのである。

僕はかつて、というかここ最近、頻繁に「日常の非日常性」ということに在ること無いことを記録に残している。僕はこの「日常/非日常」という二項対立に設定し、そこに先に引用した「あそび」という概念と鈴木大拙の指摘する「渾然として一」というものを組み合わせて「いいか!日常って言うのがそもそも非日常なんだよ!」と訳の分からぬことを声高に叫んでいる。だが、谷川俊太郎の詩を読んでいるとそれが頭で理解するということは勿論だが、それが声に出して言葉にした時、ブワッと身体を覆うベールになって視野が一瞬広くなるのである。

この『地球へのピクニック』というタイトルからしても、そもそも「ピクニック」というものはそこまで壮大なスケールで描かれることは無く、むしろ僕等の生活に近いものである。そういう僕らが普段から話している言葉の意味をその意味そのままとして詩に消化して、1つの壮大な作品として、そしてそれが世界を捉えるものであると僕は信じて疑わない。僕等の生活が当たり前のことなのかもしれないのだろうけれども、世界と地続きであるという体感を以てやって来る言葉の波。

とここまで偉そうに書いている訳だが、僕にはもう1人好きな詩人が居る。僕の記録でも常々詩の話をする時に俎上に載がる吉岡実である。

この記録でも記したが、『僧侶』という詩集に収録されている『告白』という詩が僕は好きである。再度で非常に恐縮ではあるのだが、引用して少し比較検討してみたい(などという言葉を使ってしまった訳だが、果たして僕にそんなことが出来る技量があるのか…あるのか!?)

告白

わたしは知らないことは 他の人に告げぬ また他の人の声が造る石膏のまわりを歩かぬ わたしはただ全体の力のあつまる 短い斧でふれようとあせる 立っている物ならとびのる 回転するものなら手で捲く わたしの黒い肉に喰い込んでくるまで そして淋しく出てゆく蛾や血管の列に通路を譲る それが女なら目の中に突き戻す 十全なしなやかさと冷たい湖を湛えるまでわたしはしんぼうづよく待つのだ 食べ物なら吐く 壜や容器の沈んでいったテーブルの下の暗のうちに 次々と魚と鳥の首を切りおとしながら 役立つ物と不要の物を分類する だが間違いはあり得るのだ その時は羽毛とうろこの泡を拭き 窓のガラスの外の出来事を見ようとする 子供の縄とびを ひとつの夜を生む煙突のマッスを 果ては木理の層にねむる樹の叫びで わたしは走り出す 一人の裸の形をして 習練と忍耐を具現した黒い像として 雨にぬれてゆく
 ここでのこの事実は他の人に告げられる

「僧侶」『吉岡実全詩集』
(筑摩書房1996年)P.92,93

勿論、この詩の内容的な部分の面白さについては上記記録を読んでもらうとして…。声に出して読むと分かりやすいのだが、この『告白』という詩はどこか固い印象を持ってしまう。言ってしまえば詩がより芸術としての様相を呈し、言葉であることよりも詩であることに重きが置かれているのである。どちらかというと視覚的な部分で固い印象を持つ。形式がより詩という形式を纏った言葉、それ専用に紡がれた言葉が並ぶという感じである。

だから、なんだろうな。確かにこれも好きな詩ではあるし、『僧侶』も凄く好きだし、『サフラン摘み』の詩集なんて何遍読み返したか分からないけれども、どこか芸術感を纏った、言ってしまえば「ザ・文学」がここにはある。それは文学を愛好しているアマチュアの僕からすれば「凄い凄い」となるし、自分で言うのもおかしな話だが好きになるのは分かるなと思う。「分からなさ」を芸術的レヴェルまでに昇華させていくとこんな感じなのかなと意味の分からぬことを書いてみる。

ところが、谷川俊太郎の詩を読むと、そこに書かれる言葉そのものに対して難しさを感じない。例えば上記引用の詩にある「マッス」とか「石膏」とかあるいは「壜」(単純にこれは僕が漢字を知らないだけという話である訳なのだが…)、初見でこれを読んだ際に「?」とならない方が少し変な感じもする。言葉の形式として「むむむ…」となってしまう。だが、谷川俊太郎にはそういう取っ掛かりがない。言葉が腑に落ちる感覚。

何でだろうと考えてみた時、僕が過去に書いたことを思い出す。

僕の谷川俊太郎体験といえば『春に』という詩である。中学生?だったか、国語の教科書の巻頭の詩として掲載されていたし、実際にその詩にメロディいが付けられ『春に』という曲になっている。確か、中学生の時にあった合唱コンクールだか何だかの課題曲になっていた気がする。まず以て国語の授業で習う(というと、それもまたそれで仰々しいのだが)詩には谷川俊太郎が居た。それによくよく思い返してみると、絵本でも谷川俊太郎の詩に触れていた記憶が断片的にではある。

そう考えてみると、小さい頃から谷川俊太郎の詩に触れていたことになる訳だ。生活の一部という訳では決してないが、既にそこに在ったという感じである。中学生の時分ではやはり合唱などというものがあり、そこで頻繁に谷川俊太郎の詩が歌われていた。やはり、僕にとってその当時の僕の生活の一部分を大きく担っていたということは紛れもない事実であると言えるのではないか。と書いたが、ここの話は少し脱線気味である。若干の軌道修正をすることにしよう。

実際ここで僕が書きたかったのは「生活と世界」ということである。これは先にも書いた通りで、谷川俊太郎の詩の言葉の殆どは僕等の生活と地続きであり、僕等と同じ地平に詩がある。そういう印象を僕は持っている。どこか芸術作品というものは、崇高で高貴で美しいものでなければならないという、どこか暗黙の了解みたいなものが存在している。そうすると、そこで描かれる物事、特に言葉の場合はそれが顕著に出る訳だが、「芸術用」の言葉が使われることになる。

先の吉岡実の詩は正しくそういった感じで、無論僕はそういう詩も好きだが、心のどこかで「これから作品を読むぞ」と身構えなければ読めない代物であるということを誤魔化しながら向き合ってきたように思う。そのモード?態勢?姿勢?にならないと詩が読めないという感じなのかな。有体の自然体で読めているかと聞かれたら僕は「いいえ」と声高に叫ぶことだろう。いずれにしろ、空中に浮いた何かとして、そしてそれはそれで好きだけれどもどこか疲弊してしまう。

谷川俊太郎の詩はその反面、日常生活の水準そのままで味わうことが出来るのである。今ここに在る自分という存在をそのまま横にスライドして、誌面に没入することが出来る。1段や2段も、3段も上にあがって横並びになる必要など更々ない。ただ、このままの姿勢で向き合うことが出来る。それは何でかと考えてみると、やはり先にも書いた通り、生活に根差した言葉、僕らが日常で使う言葉の数々によって編まれているからなのではないだろうか。

ところで、僕が谷川俊太郎の詩集の中で1,2を争う好きなものがある。それは『定義』と『世間知ラズ』である。

ちなみに『定義』は好きすぎて2冊ある。これら詩集の何が良いかというと、思惟の方向性が素晴らしく面白い。特に『世間知ラズ』なんかは日常から生まれたものという感じである。だが、どこか「ふうむ、なるほどな」と感動してしまうことがある。僕等が普段話している言葉なのに、何故か説得力を持ってこちら側へ向かってくる。それに対し『定義』はどこか1編1編の詩が小難しいような長さと見た目を持っているのだが、読み始めると言ってしまえばくだらぬことを考えているという感覚になる。でも、それこそが日常そのものである。だってそうでしょう。毎日頭の中で吉岡実の詩のような言葉が氾濫していたら、多分僕は息苦しくなるだろう。

道化師の朝の歌

それは在るのではないだろうか。何かなのではないだろうか。
誰も表現はしていないが、輪郭は明瞭だと思う。永遠にその位置を保つとは考えられないが、今は光を僅かに反射していると思う。影も落ちていると思う。それは無いはずがなく、何故か何かのようなのだ。
だがもし何かであるなら、たとえ誰にも使用されぬとしても、何でもいいとは思えないと思われる。何か何かであってほしいような気がする。何かではないはずはないのではないだろうか。何かでないとしたら、いったい何でありうるのか。何か以外に何もないではないかではないか。
ちっとも曖昧ではないのだから、やはり何かなのではないだろうかしら。
何かだとしたら何なのだろうかとは問えぬ何か、何でもないと答えることのできぬ何か、何か何ではない何かであっていいと思うのではないか。
貝、縄、眩暈などと言うのはたやすすぎるから、それは何か以外の何ものでもないほど、何かであれ。ごろんと、又はふわふわと。
(正直なところ、世界がそこで始まってくれるといい、或いは—終ってしまってもいいと思うのである)

谷川俊太郎「道化師の朝の歌」『定義』
(思潮社 1975年)P.16,17

『定義』は中二病心を擽るような詩ばかりである。さして小難しい言葉や表現など決して使われていないのに、どこか高尚なことを言っている風に見せかけて、その実「いや、何言ってんの?」というような詩。僕はこういう詩は手放しに好きである。言葉で何かを書くということは、少なくともそこに筆者の意図が乗ってしまう。しかも、それは歪曲されて僕ら読者はそれらを感ずるわけである。だけれども、この『道化師の朝の歌』のように「何か」という言葉だけでそれらしいことを表現できるのは素晴らしい。

だが、冷静に考えて世の中そういう事ばかりではないだろうか。偉い人、仕事が出来る人とされている人間でも蓋を開けてみたら何を言っているか分からない(これは頭の善し悪し関係なく)ことがある。それを聞く側からしたら「何か」でしかありえない。もしかしたら話している人にとっても「何か」と思っているかもしれない。自分自身ですら「私は/僕は、私/僕です」と言える「何か」というのは持っていないのかもしれない。あるいは「何か」以前の話。

こう、普遍的という言葉が僕はあまり得意ではないのだけれども、詩の言葉が誘発するその普遍的な世界や生活が広がりを持っていく。もし、文学の俎上に祭り上げられている詩人の作品が上方向に進んで行くものだとしたら、谷川俊太郎の詩は下でゆっくり横に広がっている。そんなイメジを僕は谷川俊太郎の詩から抱くことが多いのである。

言葉の鍵

 言葉はエキゾチックなものだ
 自分が一日に食ったものを書き出してみたことがある
 まるでどこかのレストランのメニュのように見えた
 それを食った自分が誰かのお客さんみたいだった

 電話してる最中に女が返事をしなくなった
 いくら話しかけても貝のように口を閉ざしている
 しわだらけのズボンと薄汚れたTシャツのまま
 タクシーを拾って真夜中にぼくは女に会いにいった
 黙りこくっている女は人間じゃないみたいだったが
 かと言って岩でも木でも動物でもなかった

 言葉の鍵では開けることの出来ない扉がある
 母語ですらエキゾチックに思える国にぼくらは住んでいる
 そこが本当の故郷だ

 微風は吹いていない
 もちろん本なんて一冊もない
 心地よいものは何もない

谷川俊太郎「言葉の鍵」『世間知ラズ』
(思潮社 1993年)P.34,35

時折、谷川俊太郎自身が詩に対して懐疑的な姿勢になるのも、言葉に対して懐疑的になるのもまた面白い。他の詩人たちの詩というのは僕等からするとどこか完成された言葉として提出されることが多い。それが「詩」であるということが全面に出される訳で、言葉を紡ぐことの苦悩みたいなものが裏には在るのだろうが一切見せない。だが、谷川俊太郎はそれをも詩にしてしまうのである。だからこそ僕は谷川俊太郎の詩が好きである。

ところで、僕はかつての記録で「生活に根差した作品が大好きである」ということを書いた。それは谷川俊太郎をベースとしてではなく、中野重治をベースとしてそれ書いた。だが、この「生活に根差した」というのは僕の中では芸術における重要事項の1つであると言っても過言ではない。作者自身にも生活がある訳で、その濃淡(つまりは裕福であるとか、生活様式が様々であるということを指す)は人によってそれぞれで在るのだが、しかし「生活」というものがベースにあってこそ初めて芸術というものが成り立つと僕は信じて疑わない。

であるならば。如何にして僕等は生活と向き合うかということが肝心になって来る。殊、芸術や哲学という分野に関しては。だってそうでしょう。僕等という人間存在が成立してこそ初めて成り立つものでしょう。生活を蔑ろにする人間に何か物を創るということが果たして出来るだろうかという風に僕は考えている。現に僕がこうしてnoteに書き始めるその殆どの端緒が僕の生活から出発していることは紛れもない事実である。

芸術は形而上学の所産なのか。いやいや、そんなことは無いだろうと思う。そんなに遠いものではないはずだ。何故芸術が成立するかといえば、やはりだけれども、例えどのような形式であれ、そこに生きて生活を営んでいるという事実があるからではないだろうか。それを抜きにして芸術など考えられるだろうか。

詩人はみな、自分の仕事の中で放浪を強いられるものだ。だが、仕事の中で放浪を強いられれば強いられる程、私は自分の生活というもののたしかさを求める。小市民的な幸福だけをいうのではない。人間の一人一人として、人々と共に生きているという実感、そのためには、生活の形とリズムが回復されなければならないと思うのだ。
 東京というこの巨大なクラゲのような所に住んでいて、しかも詩人という不規則な仕事をもつ私には、〈建設〉は強い意志の力と、綿密な計画性を要する仕事だろう。私の育った家庭をも含めて、私は生活というものを大切にしない多くの人々を見てきた。近代日本の社会そのものが、それを人々に強いたのであろう。だが人間は、生活することによってこそ、死と闘い得るのではあるまいか。生活をもたぬ人間は、知らず知らずのうちにニヒリストになってゆく。

谷川俊太郎「生活よこんにちは」『沈黙のまわり』
(講談社文芸文庫 2002年)P.50

僕が思うに、谷川俊太郎という詩人は文学というものから敢えて外れたような詩人であるのではないかと。ただ、そういうことから離れることによって純粋な「言葉」そのものに対して人生を通して、「詩」というものを通して考えてきたのではないかと読者特有の身勝手な想像をしてしまう。実際の所は僕にも分からない。

最近、神保町古本まつりで谷川俊太郎の詩集を買った。その中で『ことばあそびうた』と『はだか』という詩集を買ったのだが、これがまた中々面白い。全てひらがなで書かれ、全編が声に出して読みたくなるような詩集である。僕は訃報を聞いてから夜な夜な1人でこの2冊の詩集を声に出して読んでいる。やはり、言葉というのは形だけでは成り立たず、音というのも大きな要素になっているということを改めて考えさせられる。

かえる

 かえるはかえる
 みちまちがえる
 むかえるかえるは
 ひっくりかえる

 きのぼりがえるは
 きをとりかえる
 とのさまがえるは
 かえるもかえる

 かあさんがえるは
 こがえるかかえる
 とうさんがえる
 いつかえる

谷川俊太郎「かえる」『ことばあそびうた』
(福音館書店 1981年)

これらを声に出して読むと1つ分かることがある。それは、誰かと一緒に読みたい詩であるということだ。話はそもそもの方へ翻る訳だが、読書という行為はそもそも1人で向き合うものとされる。作品を介しての自己との対話的な様相を呈している。無論、それは非常に重要なことであって自分自身と向き合う大切な時間である。だが、果たしてそれだけが読書の醍醐味かと聞かれたら僕はそれだけだとは思わない。

小学校でも中学校でも…中学校はもうないか。「輪読」みたいなことをしたと思う。実は僕はあの時間が結構好きだった。それは単純に皆と同じ作品で繋がれているという幻想を抱いていたからだ。人と人というのは分かり合えない存在だと思っている。だけれども、例えそれが表層的にであれ、作品ひいては言葉を介して繋がれる初めての経験みたいなものがあった気がする。そして十人十色の声によって編まれる作品や言葉はそこに書かれる言葉という形式(カッコよく言えばシニフィエとでも言っておこうか?言いかえる必要ないけど)を超えて、新たな言葉そして作品として生まれ変わるのである。

谷川俊太郎の詩はそういう当たり前の中にある当たり前じゃないことを教えてくれる。人と人が結びつくというのは難しい。どう頑張っても分かり合えないことも沢山ある。だけれども、そこにある唯一の僕等に残された可能性こそが「言葉」なのである。無論、何度も書くようだが言葉だけでは限界がある訳だけれども、人と世界とを繋ぐその架け橋として言葉というものが現にここに在るということを谷川俊太郎の詩はいつも教えてくれる。

僕はかつて東浩紀と石田英敬の『新記号論』の中での話を引き合いに出し、「文字を構成する形態は自然の模写である」というようなことを書いた。最新の研究で分かったことらしいのだが、詳細な内容についてはぜひ『新記号論』を読んで貰いたい。ここでは詳細な説明は省くことにする。

そう考えると、少し話は飛躍してしまうかもしれないが、言葉は世界を捉える為の1つの手段である。人も言ってしまえば自然であり世界である。その人にしかない固有の世界を持っている。それを自身の固有の世界と結び合わせる為の、繋がれておくために言葉というものがある。ここまで書き、以前どこかの記録で引用した谷川俊太郎の言葉が再び思い出される。

 あらゆる人間は、常に何ものかを通して、生き続けてゆこうとしているのである。詩人もその例外ではない。彼は詩を通して生き続けてゆこうとしているのであって、決して詩そのものを求めて生きているのではない。我々は詩を書くために生きているのではない。生きてゆくために、あるいは、生きているから、詩を書くのである。私は詩には惚れていないが、世界には惚れている。私が言葉をつかまえることの出来るのは、私が言葉を追う故ではない。私が世界を追う故である。私は何故世界を追うのか、何故なら私は生きている。

谷川俊太郎「世界へ!」『沈黙のまわり』
(講談社文芸文庫 2002年)P.34,35

言葉がアプリオリに存在するのではない。まず世界が存在して初めて言葉がある。そして生活があり言葉がある。僕等は普段生きていると言葉に優位性があるように錯覚してしまいがちだ。とりわけ、昨今のメディアで溢れるやけに嫌らしい言葉の反乱。言葉のみが1人歩きをして、その人とは離れたところで勝手に火の粉をまき散らしながら踊り回っている。

SNSが発達したことによって万人が気軽に自分の考えや自分の生活事情などを発信できるようになった。それはそれで僕としては有難いことだと思う反面、やはり難しいなと思うことがある。例えば現在では動画や写真などの技術が発達し、言葉という存在そのものが希薄になりつつある。Twitterはそもそも140字という制約があり(一応「つぶやき」というテイなのだからそれはそれで良いのだか)、Instagramも確か2,000字までだったかな?あまり記憶にないけれども、いずれにしろ制限がある訳だ。

言葉に制約が掛かる。それも自分が仕掛けるのではなくてデフォルトで掛かっているというのが僕はどうも苦手である。僕も谷川俊太郎と同じ(と書くとこれまた失礼極まりない物言いにはなる訳だが)で、世界や生活が好きであって、それを捉えるために言葉が在り、そして書き始める出発点は僕にとって世界であり生活である。そう考えた時に、言葉に制約がある状態の中で僕は果たして僕の世界や生活を書くことが出来るのだろうか。世界や生活は本当に制約されたものなのか。僕はそうであってはならないと思う。

谷川俊太郎の詩を読むと僕はいつも自由さを感じる。詩という限られた空間の中で、僕等が日常使うような言葉遣いで描かれるその世界には限りない何かが広がっている。そして改めて自分自身の世界や生活を見直すきっかけをいつも与えてくれる。そういう言葉を書けるのは稀有な才能なのではないかと僕には思えて仕方がないのである。

僕等は今ここを生きている。

そういう実感を与えてくれる。例え自分自身という存在を見失ったとしても幸か不幸か世界や生活というのはそんな感傷を他所に進んで行くものである。そこに世界がある。生活がある。そして僕が在る。そういう詩に出会えて僕はいつも救われている。この記録を締めるにあたり、過去の記録で何度も引用している『生きる』で終わろうと思う。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

谷川俊太郎「生きる」『うつむく青年』
(サンリオ 1989年)P.117~120

ご冥福を祈る。

よしなに。


いいなと思ったら応援しよう!