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『ゲンロン戦記』という東浩紀の英雄譚:破

(インク切れや切手代不足により、発送の遅延が発生したことを深くお詫び申し上げます。)

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それぞれ違う、だから繋がりあえる、それが自由

日本的言論空間という教室の中には、『ブレックファスト・クラブ』よろしく優等生、マッチョ、ギャル、オタク、のけ者など様々な属性を持つ人々が存在し、時に反発しあい、時に連帯しあい、アカデミアという<家>を守っている。本論の主人公である東浩紀はオタクと、のけ者の両方、というかそれらのあいだの役割を負っている。

オタクと評するのは、彼がサブカル(オタクカルチャー)やSFに造詣が深いからではない。それらは彼のオタク気質な研究姿勢とその成果を通して見えてきた1つのコンテンツに過ぎない。重要なのはその気質である。つまり、興味関心がある分野を網羅的にデータベースとして消費し、それをネットワーク的に整理する能力である。彼は哲学オタクなのである。
科学史科学哲学を専攻していた学部時代の彼は、野家啓一の特別講習で、一見すると距離がありそうに見える分析哲学的な言語の哲学(ウィトゲンシュタイン/クリプキ)とフランス現代思想的なデリダの思想の近さについて教わるとすぐにそれに興味を持ち、それらとその周辺をデータベース的に整理した結果、「序」におけるAとBの二項対立とそれを無効化するP的なものという思想を作り上げることとなった。
例えば、
(以下、『著書』(援用):A← P →B)
『動物化するポストモダン』(ゴジェーヴのヘーゲル理解):スノビズムに陥る主体的な人間← データベース的動物(オタク) →欲求のみを満たす動物
『一般意思2.0』(ルソー、フロイト):熟議民主主義← 憐れみ≒無意識の可視化 →ポピュリズム
『ゲンロン0―観光客の哲学』(ベンヤミン、ドゥルーズ=ガタリ、ドストエフスキー、ローティ):村人(家長) ← 観光客≒郵便的マルチチュード(大家族の中の私生児) →旅人(放蕩息子)

では、なぜ、のけ者的な属性も持ち合わせているのか。それはアカデミアという大家族の中で私生児的な思想(散種されたデリディアン的思想)を生み出し、その大家族から無視され続けてきた存在だからであろう。例えば、『存在論的、郵便的』は中期デリダの画期的な読み方を提示したにもかかわらず、だれも読み解いてくれない結果、自分で自分の著書を解説するという講座を2013年から始めることとなる。なんとも寂しい。
その講座で、東京大学の表象文化論研究室という大家族から、いかに私生児として扱われ続けられてきたかという愚痴を淡々と語っているシーンは面白い(『観光の哲学』が集大成と言われるゆえんである、縦と横が逢うことを人は仕合わせと呼ぶ)。
彼は、柄谷行人/浅田彰的な批評空間が生み出した子どもであり、それは彼が当時属していた大家族が一番毛嫌いしていた血筋なのである。彼の博士論文の主査である小林康夫氏が最も有望な若手思想家たちの中に僕(東浩紀)を選んでくれなかったというエピソードには、義父に自分の存在を認めて欲しいのに認めてもらえなかった悔しさが吐露されていた(福田吉兆的な繊細な性格、「もっとホメてくれ」と)。コロンビア大学の受験失敗も含めて、こうした経験が大学や論壇(いわゆるリベラルなインテリ)を嫌う一因となったのは間違いない。

(追記:いや、素直に彼の功績は偉大だと思う。なぜにアカデミアの傘に守られている人々は一旦鼻で笑う態度を取りたがるのか。なぜ、素直に彼を誉めてあげないのか(もちろん、一部を除く)、不思議である。そして、読者も。思想と運動/政策が連動しないのは当たり前だ。時間軸が異なる。人類史上、思想と運動が直接結びついたのは長く見積もってもここ300年ぐらいの話だ。歴史の審判を待てばいい話だ。あと余談なんですが、慶應SFCで彼を採用できなかった福田和也氏は、そのあった世界線を期待させた分の責任は重い。不憫でならない。まぁ、それもまた彼の「であったかもしれない」という哲学的テーマにもってこいのエピソードだ。なによりなにより。(追記:ZEN大学とゲンロンがコラボしているのはこの辺りの
問題な気がする。))

祖父の亡霊とゲンロンの哲学的実装

また、はみ出し者としての役割を果たしているというのは他にもある。本書『ゲンロン戦記』でも書かれている通り、東はアカデミック・ポストを転々としながらも最終的には有期ではあるものの早稲田大学の教授として働くこととなる。しかし彼が強烈に感じていたのは、そのリベラルなインテリとして存在している自分自身に対する違和感である。大学で教え、討論番組に出演し、新聞で論壇時評を担当し、大手出版社の文学賞を受賞するという立派なインテリ知識人になってしまった自分に対する。
なぜ居心地の悪さを感じていたかというと、本書でも書かれている通り、彼自身の出自に関わっている。決してインテリの家系に育ったわけでなく、親戚に作家や大学教授といった人は一人もいなく、唯一の生活感が実感できる大人の存在として、中小企業を経営する祖父を挙げている。簡単にいえば、彼にとってはゲンロンという中小企業の経営の方が、インテリ知識人としてより生活していくイメージが沸いたということだ。

さて、ここまで来たら分かってきた、どうして彼が慣れ親しんだ家族を離れて旅立つことを決意したのかが。居心地の悪さを覚える田舎的な共同体を飛び出し、新たな言葉とその読者たちを探す旅に出ることを決意したのである。だからこそ、『存在論的、郵便的』で発芽したアイディアを、サブカル批評、小説、社会思想書、紀行エッセイ、そして集大成の思想書へと変奏させ、学会や論壇にいる大家族に向けてではなく、新しい読者と出会うための新しい言葉を発明しようとしてきた。それは同時に、手垢まみれの哲学的ジャーゴンなしで彼の著書を読める読者/仲間を探す旅でもあったというわけである、まるでどこかのスペース・オペラの主人公のように。

実際、「若手論客を集めて世の中を驚かせる雑誌を作ろう」という漠然とした夢を持って東は、2010年にゲンロン(前:コンテクスチュアズ)を創業するし、出版事業を中心に活動するも、本人の経営者としての自覚がない足りないために、最初の数年間は常に経営危機という状態だったと本書には書かれている。そして、彼の目的であった「読者/仲間」を探す旅としてはどうだったと言えば、それも失敗に近かったと言えよう。読者である会員は3割近く減っていく一方、創業メンバーは次々いなくなり、社員の退職が相次ぐという状況だったと。しかも、文系ジャーゴンなしで対話がしたいと思っていたその他の分野の読者(特に理系)からバカにされ続けることになり、その不満をため続けることになる。
(ただし、人文的な知(歴史)についての定義をひろゆきに対して行ったニコニコ超会議の動画は人類必見なのではないだろうか。東は自分の関心分野である思想や哲学という自分の田舎を、観光のために訪れた土地に住む村人に対して、容易な言葉で説明する役割を果たしている、観光客として。)

そうした中で、ゲンロンカフェ/スクールやチェルノブイリツアーによってゲンロンの事業にデリダ哲学の実装を与えることで乗り越えるというストーリーが本書では展開されている。それら事業が「誤配」により誕生した事業であることもさることながら、それがA←P→Bの哲学的実践として機能している。つまり

合理的オンライン← 誤配≒雑談≒考える空間(ゲンロンカフェ/観客の育成) →非合理的オフライン

という風に東の思想を実装した空間を作り出すことに成功する。東のデリダ読解が前期と後期(現:中期)で別れていたように東自身も前期のインテリ系知識人から後期の中小企業の経営者として生成変化していくことなる。そこで見え隠れるのは、デリダの亡霊と、柄谷行人のNAMのそれであることは確かだろう。人間はどうしても反復をしてしまう。そしてゲンロン2016年から2018年末にかけて新たな変化を起こり、ゲンロン解散危機に繋がていく。

夢、別名呪い

東浩紀はそれでもまだ「新しい書き手が報われるような空間をつくりたい」とか「似た仕事をやっているひとたちが集まって、語り合える場所をつくりたい」というゲンロン創業時の夢を捨てきれずにいた。自身の著書『ゲンロン0』の大ヒットをうけてゲンロン自身の経営状態は上向いてきたにもかかわらず、彼はこう思う、なぜ私の会社で出版された私が心魂なげうって書いた私の本で儲けたお金が、私にではなく、社員に還元されるのだろう、そしてなぜそんな社員から私がバカにされ、私が作った会社が嫌われてしまうのだろう、と。そして会社を畳もうと決意する直接的な引き金は、止めてくれると思っていたはずの一緒に飲んでいた人が「いままで頑張て来たし、そこまで辛いんだったらやめてもいいなじゃいか」という言葉だったらしく、私が育ててきたゲンロンという空間はその程度のものだったのだな、と心が折れることとなる。(私は常日頃からこう言ってるではないか:「死にたくないのに死にたいフリするのは、死んでほしくないと思っている人の数を確認するためであって、その自己認識が間違っていると自殺せざるを得なくなる」って。止めてくれる友達がいないと、少ないと、逃げ道がなくなる。そして、ゲンロン友の会はその性質上、多くなったり少なくなったりする。)日本の言論空間に風穴を開けるという夢は、瞬く間に呪いに変わり、東はここで疑似的な死を迎えることとなった。

そして、彼の疑似的な死から復活を遂げるきっかけとなったのは、上田洋子氏と徳久倫康氏(2021年度まで在籍)という、家族的な身近な理解者たちであり、また『ビッグ・フィッシュ』のラストのような幽霊的な読者/仲間だったのである。東は要は、この会社の創業時から「ぼくみたいなやつ」という青い鳥症候群に陥っていたことにこの頃に気づく。「ぼくみたいなやつ」が集まってキャッキャキャッキャできればクリエイティブなものが作れると信じていたのである(これは2000年初頭のインターネットの夢、別名呪いでもある)。トトという犬を連れてカンザスを飛び出し、最後には"There's No Place Like Home"と気づくドロシー。そう、ゲンロンは東浩紀というアカデミアにおける私生児にとっての「家」にすでになっており、それを疑似的な家族である上田洋子氏と徳久倫康氏、そしてその読者/仲間たちが気付かせてあげたのである。読者は、仲間は、そして家族は、一番近くにいたのに、それを見て見ぬふりして責任を取ることを回避していた自分の弱さに気づいたのである。

この心情はどこか、山王戦のゴリ(赤木剛憲)のそれに似ている。東浩紀は私が代表でなくてはこのゲンロンはダメになってしまうと。だから無理してでも頑張る、だが上手くいかない。しかし、その認識が間違っていたのである。東が無理して頑張らなくなくても、ゲンロンは続けられる方法はあったし、結果的に上田氏の天才的な経営手腕により東が責任者であった頃より断然ゲンロンは上手くいくようになっていった。

一応、第二幕も試練とその克服をちゃんと描いたつもりだ。なので、最終幕、第三幕に移りたいと思う。

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