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#68 なぜ間違いが大切なのか|学校づくりのスパイス(武井敦史)

【今回のスパイスの素】
今井むつみ・秋田喜美
『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』

 今回は幼児の言語について研究してこられた今井むつみ・秋田喜美両氏による『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中央公論新社、2023年)を取り上げて人間の知の特徴とその発達を考えてみます。「ことば」を手がかりに人間の知性の性質に迫っているところが本書のおもしろいところで、教育関係者にはたいへん示唆に富む一冊です。

今井むつみ・秋田喜美『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』中央公論新社

アブダクションという思考方法

 本書の探究はオノマトペに始まります。オノマトペとは、「ドキドキ」とか「しーん」といったように、「感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語」と定義される(6頁)言葉のことです。

 なぜオノマトペなのか? それはヒトの言語がはじめから私たちが日常使っているような抽象的で複雑な記号のシステムであったとは考えにくいためです。言語の進化を考えても、また子どもの言語習得を考えても、感覚と言語の「ミッシングリングを埋める」(90頁)ものが必要であり、それこそがオノマトペであると考えられたようです。子細は本書に直接当たっていただきたいのですが、本書で描かれている言語体系を習得していくプロセスの概略を筆者なりにまとめてみます。

 小さな子どもほどよくオノマトペを使用しますが、それはオノマトペには「感覚イメージを写し取る」という側面があるためです。世界中の異なる言語を話す11ヵ月の赤ちゃんに丸っこい図形ととんがった図形を見せ、どちらが「モマ」で、どちらが「キビ」かを訊ねる実験をすると、母語によらず丸っこい図形が「モマ」であると認識していることを脳波から確かめられる(105頁)といいます。

 けれども言語システムはオノマトペのように身体感覚につながった言語ばかりで構成されているわけではありません。言語によるさまざまな表現を可能とするためには、感覚から離れて高度な抽象性や操作性を獲得することもまた必要であるはずです。そこでヒトは身体感覚につながった言語を端緒にして、仮説形成推論(アブダクション)という知の働きをくり返すことで知識を更新して、より洗練された推論が行えるようになってくると今井氏らは考えたようです。

 ここで鍵となるのが「アブダクション」です。アブダクションとは、パースの記号論において演繹、帰納と並ぶ推論形式として措定されたもので、「①この袋の豆は白い(規則)、②これらの豆は白い(結果)、③ゆえにこの豆はこの袋から取り出した豆である(結果の由来を導出)」(209頁)という、仮説的に物事の因果を措定する推論の形式です。

 この推論が必ずしも正しくはないように、アブダクション推論では間違うことが多々あります。この本を読んで筆者は、二人の娘がまだかわいかった頃の姉妹げんかを思い出しました。姉に身体が小さいことをからかわれた妹は次のように反論しました。

 「○○ちゃん(自分)の方が大きいはずだよ。だってお肉いっぱいたべてるもん!」

 もちろんこれが事実でないことは鏡の前に並び立てばすぐにわかるのですが、人には人の論理があります。今思えば、これこそがまさに彼女のアブダクション推論でした。

 しかし逆に言うと、このような間違う可能性のある仮説づくりをくり返すことによってこそ、知識を更新し続け、言語のような膨大な知識の体系をヒトは学んでいくことができる、ということになります。

 そしてこの点こそが「記号から記号への漂流を続けながら、知識を驚異的なスピードで拡大し続けることができる」(192頁)AIとは異なる知の働きであると本書では指摘されています。AIは感覚との接点を持たないからです。とすれば、AIとの棲み分けが課題となる今後の社会では、アブダクションの働きの重要性がさらに高まることでしょう。

間違いの質を問おう

 これまでも教育における間違いの大切さを強調する主張は多々ありました。けれどもその多くは、「失敗をおそれず立ち向かうマインドを培える」「間違いを経験することで自分の誤りに気づける」、といった、「手段」としての間違いの大切さを強調するものです。

 けれども本書の提起している視点は、これとは少し異なります。子どもが大人の側からは誤っているとされる表現をする場合、それはその子なりのアブダクションを行った結果かもしれず、間違いはそれ自体が成長に必要な創造性の発露であると考えるべきです。

 けれどもそれで問題は終わりではありません。もう一歩踏み込んで考えてみましょう。

 子どもが「間違った」というその事実だけからでは、それがアブダクションの結果によるものなのか、それとも単なる記憶の誤謬ごびゅうや認知のゆがみ等によるものなのか、多くの場合判然としないはずです。そして誤りの中身にかかわらず、正解に向けて思考を軌道修正させていくことは可能です。正解に向けての誘導はAIドリルの得意技でもあります。

 とすると、そこで問われるのは「間違いの質」です。子どもの発話や行動からその思考過程に寄り添って発話や行動の背後にある知のメカニズムを読み取り、「もしかしたら……」といった仮説形成や思考の広がりを、子どものなかに育てていくことこそが、これからの時代を生きる子どもの知の発達にとっては大切になるでしょう。

 そしてそうした子どもの発達をうまくサポートするためには、教師自身が「ある事物の性質や特徴を発見してそれを他の事物に適応してみる」というアブダクションの思考プロセスを常に稼働させ続け、その能力を高めていかなければならないはずです。

 ……と、ここまで読まれた賢明な読者の方々はすでにお気づきでしょう。

 そう、この連載は異分野の書籍を足がかりに思考方法の引き出しを増やし、教育関係者の想像力の拡大をはかっていくことをねらいとするものです。だからアブダクションに向かう動機を刺激してそれを伸長していく一つの手段となりえるはずなのです。子どもの思考の枝葉を広く育てていくためにも楽しんで読んでもらえれば幸いです。

【Tips】
▼筆者の一人今井さんのウェブサイト、様々な情報が載っています。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

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【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

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