#63「成長の土壌」を忘れていないか?~ゲイブ・ブラウン『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』より~|学校づくりのスパイス
「子どもの成長にとって理想の環境とはどのようなものか」――古〈いにしえ〉より現代に至るまで、くり返し問われ続けてきました。さらに、子どもの成長環境は今日激変しつつあります。今回はリジェネラティブ(環境再生型)農業の第一人者ゲイブ・ブラウン氏の『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』(NHK出版、2022年)にヒントを得て、この問題に切り込んでみたいと思います。
「足し算」・「かけ算」の農業
リジェネラティブ(環境再生型)農業とは、農場や牧場を一つの生態系として管理する農業のこと。土壌に大量の炭素を蓄えるため地球温暖化対策にもなる「カーボン・ファーミング」として脚光を浴びています。
環境再生型農業というと、ひたすら自然の恵みに感謝して生きる、俗人離れしたやり方をイメージしがちです。けれども、ゲイブ氏は経済性を無視しません。否、「収量よりも収益を」(238頁)というくらい経済性にこだわります。
ゲイブ氏の提唱するリジェネラティブ農業の原則は、本書では次の六つにまとめられています。①土をかき乱さない、②土を覆う、③多様性を高める、④土の中に生きた根を保つ、⑤動物を組み込む、そして原典の執筆後に加えられた、⑥背景の原則。
くわしくは本書に当たってほしいのですが、内容の骨子を筆者なりに要約してみると次のようになります。
植物の根は成長に有用な微生物を繁殖させるために、炭素を多く含む根滲出〈しんしゅつ〉物(液体炭素)を土壌中に放出します。この根滲出物により菌根菌が増殖し、この菌の放出するノリ状の物質により団粒構造が形成されます。この団粒構造は土の多孔性を高め、水分浸透速度を速めることが知られています。「有機物(炭素)の含有量は、植物の成長させる土の機能の9割を左右する」(151頁) ほど重要であると本書には記されています。
上記の六つの原則はいずれもこの菌根菌の働きに関係するものです。菌の働きを高めるためには、化学的・物理的・機械的にできるだけかき乱さないようにする必要があるといいます。土を植物で覆うとそれによって直射日光がさえぎられて土中の温度変化も小さくなり、植物の多様性があると菌根菌の種類が増えて土中の窒素と炭素の比率が安定するそうです。また、動物を組み込むとよいのは、動物が植物を食むことで、植物の光合成が活発になると同時に、「土壌マッサージ」(68頁)の効果もあるためであると記されています。
そして最後につけ足された「背景の原則」とは、その土地にあった作物とカバープラント、動物の組み合わせは地域の環境や土壌によっても異なり、無数の組み合わせのなかから最適解を見つけ出す必要がある、ということを指摘するものです。本書には、氏が実験や科学的な分析により根拠を確かめながら、粘り強く試行錯誤をくり返してきた経緯がくわしく記されています。
以上のように、「環境再生型農業」といっても人が手を加えないわけではありません。さまざまなカバープラントを植えたり、家畜を移動させたりと、けっこう大変そうです。農業として人の手は加えながらも、さまざまな動植物や手法を組み合わせる「足し算」と「かけ算」により、「『工業型の農業』から『自然に近い農業』へ」(202頁)の転換を成功させた様子が本書からは読みとれます。
成長の「土壌」を考えよう
さて、こうした農業が再発見された一方で、本書の手法とは対照的な「引き算」・「割り算」の農業も現在普及拡大しつつあります。植物の成長プロセスを分析・分解し、不要なものを取り除いた環境で収穫を最大化するよう、人工的に生育環境を最適化する工場野菜の栽培方法がそれです。今後の農業は、これらの対照的な2軸がもつれあいながらその輪郭がつくられていくのでは、と本書を読んでいて筆者は感じました。
実は同様の2軸構造が教育分野でも展開されつつあります。AIドリル等を活用した個別最適化された学びと、探究学習を主軸とした協働的な学びがそれです。一方はテクノロジーに主導され、他方はその助けを借りつつも複雑な関係のなかでの泥臭い試行錯誤により実現される、というところも農業の場合とそっくりです。
そして後者の探究的な学びのためには、その基盤となる人間関係の「土壌」のあり方こそがその成否を決める最大の要因となるはずであり、それは他者からの働きかけによって育てることが可能です。
ところが、本書のタイトルにも込められたこのメッセージを、多くの教育関係者は昨今忘れがちになっているのではないでしょうか?組織が多忙化し、マネジメントサイクルが強調されるほど、教育内容や方法など、可視化の容易な「地上部分」に人の目は向きがちになるからです。
成長の土壌、なかでもとくに重要な人的環境の姿は今日激変しようとしています。感染症やマスクによって接触頻度や感覚情報が制限される一方、オンラインやSNSによって空間を超えた新たなつながりも生まれました。
こうした環境変化が今後どのようになっていくかは不透明ですが、もはや過去に戻ることはないでしょう。
本書で語られていた6原則は簡単に教育の文脈に置き換えられるように思います。①土をかき乱さない→関係に介入しすぎない、②土を覆う→可視化しようとしすぎない、③多様性を高める→人間関係の多様性を高める、④土の中に生きた根を保つ→関係の持続性に留意する、⑤動物を組み込む→場を育てるのに「動き」を取り入れる、⑥背景の原則→地域や家庭の文脈に則る、といった具合です。
土を問わずに人間も含めた生物の成長を考えることはできないはずです。その気になれば、「教育の土」を豊かにする試みは、教室の机配置から、学級・学校通信、日々の声かけに至るまで、さまざまな工夫が可能なはずです。教師の腕の見せどころではないでしょうか?
(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)