北不二夫【仏教×社会福祉】

北不二夫【仏教×社会福祉】が仏教全体を考えます。 専門分野 ①『仏教社会福祉論の研究🤘』 ②『四諦八正道の研究🤘』 ③『最澄、空海の研究🤘』 ④『法然、親鸞の研究🤘』⇐現在ココを学習中 ⑤『鎌倉仏教🤘』 *歴史学、世界史、日本史も研究対象です🤘

北不二夫【仏教×社会福祉】

北不二夫【仏教×社会福祉】が仏教全体を考えます。 専門分野 ①『仏教社会福祉論の研究🤘』 ②『四諦八正道の研究🤘』 ③『最澄、空海の研究🤘』 ④『法然、親鸞の研究🤘』⇐現在ココを学習中 ⑤『鎌倉仏教🤘』 *歴史学、世界史、日本史も研究対象です🤘

マガジン

  • とらねこ村<トランスミッション>

    • 155,529本

    あなたと作る共同マガジン。総勢4000名が関わる大規模マガジンに成長中。グループ合計で参加者1,500名、フォロワ数2,500名、約18万記事が収録中。🥕コンテンツを広めたい方の参加をお待ちしています。🥕マナー:①連続投稿はしない②社会一般的に不適切な記事は投稿しない③トップ画面は変えない。参加希望の方は,マガジンの固定記事からコメントしてね。

  • 浄土教思想

    阿弥陀仏の西方浄土に往生することを説く浄土教。 「ほとけ」とはなんであるか。浄土教の観点から紐解きます。

  • ブッダのおしえとは

    悟りを開いたブッダ。そのおしえとは具体的にどのようなものだったのか。ブッダの教えを具体的に紐解いていきます。

  • ブッダの生涯

    ゴーダマ・シッダルタとして生まれたブッダ。ブッダがどのような考え、出家し修行の末さとりをひらいたか。このテーマを明らかにします。なお、なるべく史実に基づき書いております。

  • 仏教福祉研究

    仏教と社会福祉。この相反するものは実は根っこで繋がってます。本マガジンではその根っこの部分を明らかにすると同時に『社会福祉のはじまりは仏教にあり』という仮説のもと、それを明らかにしていきたいと思います。ひょっとしたら今まで聞いたことないような論調が聞けるかも……。

最近の記事

仏教社会福祉論入門編③

・仏教社会福祉の実践基盤 生活問題の解決、改善に向けて援助したり支えたりする時、最も問われるのは問題を担った人をどう捉えるか、どう観るかということである。 私たちは生きて行く上でとかくいろいろな付加価値を求めてしまいがちだが誰もが持っている「いのち」は人間として平等であるはずなのにそれがいつの間にか差別の対象となる現実の中に私たちは生きている。社会福祉はこうした差別を受け、いのちと暮らしを虐げられた人々の生活と生命守る分野。そして社会のなかでも困難を抱えながら一生懸命生きよう

    • 仏教社会福祉論入門編②

      2、仏教社会福祉活動のかかわり 仏教やキリスト教などの宗教団体や信仰に篤い人が貧困や病気に苦しむ人々の救済に取り組むようになる。仏教の場合明治時代の他宗教の隆盛に対抗して、仏教の存在意義社会にアピールするための手段として取り組んだ面もある。しかし、より重要なことは仏教者のすぐ側で幾多の困難をかかえる民衆が暮らしていて、そうした人の生活を社会的に守らざるを得ない現実の中に仏教は存在していたという現実がある。 各地で起きた災害の被害者救済にはその土地の仏教婦人会が積極的に関わった

      • 仏教社会福祉論入門編①

        1、社会問題としての生活問題 私たちは、生活していく上で様々な困難や社会的事故に直面する。例えば、病気、老齢、災害、失業、低賃金など。さらに人間関係上の困難、精神的なつらさや病気、差別や偏見など目に見えない困難に出会う。人間らしく生きて行くためにはこうした生活上の困難、障害と戦いそれらを解決していくことが不可欠である。こうした生活上の困難を生活問題という。生活問題は個人、家族、家庭、地域などの人間の暮らしの様々な面に現れる。しかし、生活は個人的な営みであるというプライベートな

        • 仏教の目指すもの②

          人生は「苦」であるというのが仏教の一大問題意識であり現実認識。そして実践上の真理でもある。 伝説では「四門出遊」がブッダの決定的な出家の動機になったとされる。東の門から出たブッダは老人が歩いてるのをみて、老人の苦とすべての人が老いるということを知る。 次に南の門から出ると今度は病の人が倒れかけているのに出会う。 次にブッダは西の門から出ると棺を運ぶ列に出会う。死とはなにか、その死が自分にもすべての人に訪れることを知る。 次にブッダは北の門から出る。そこには1人の出家者がいて「

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        記事

          仏教の目指すもの①

          仏教を開いた人はゴーダマ・シッダルタという実在の人物である。である。ゴーダマ・シッダルタが本名ならば尊称が釈尊、釈迦、仏陀などと呼ぶ。ちなみに『釈尊』は釈迦牟尼尊の略である。『釈迦』はゴーダマ・シッダルタの出身部族「シャーキャ族」からきている。 仏教の目指すものとは『幸福』である。言い換えると幸せ、あるいは平安な心の獲得と言っても良い。また、『苦』の完全な解決とも言える。仏教は絶対的な幸福、幸せ、苦を完全に解消しきって二度と苦が生じないことを目指す。これを仏教専門用語で『解

          浄土教思想⑧

          ブッダ入滅後、仏教教団は様々な部派に分裂した。そして紀元前後頃に大乗仏教が興った。大乗仏教と部派仏教の大きな違いは「現在、仏が存在することを認めるかどうか」である。大乗仏教は現在も他の世界に仏が存在するという「現在他方仏思想」を主張する。部派仏教では次に仏となるのは弥勒菩薩であると決まっているので成仏の可能性はないとされていたが、大乗仏教では次の仏が決まっているのはこの娑婆世界だけで、他の世界なら成仏できるとして成仏の可能性を認める。ブッダのようにすべてを救う菩薩であると称し

          浄土教思想⑦

          浄土教三部経 阿弥陀仏は多くの大乗経典に登場するが、極楽や本願に重点を置いて説いている経典を「浄土経典」という。浄土経典は中国にももたらされ、何度か中国語に翻訳された。それらの中で中国や日本の浄土教者に重要視された経典として『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の3つが挙げられる。法然はこれらを一括りにして『浄土三部経』と名付け自らの思想、信仰の拠り所とした。 これらの経典にとかれる内容は… 『無量寿経』 法蔵菩薩(阿弥陀仏)の誓願と成就(阿弥陀仏がどのようにして仏になったか

          浄土教思想⑥

          浄土教とは 浄土教は仏教辞典によると「阿弥陀仏の浄土に往生し、成仏することを説く教え」などと説明される。浄土教とは阿弥陀仏信仰を説く教え、ということである。 多くの大乗経典に現在他方仏の代表的な仏として阿弥陀仏が登場し、阿弥陀仏信仰が広まるにつれ、浄土といえば阿弥陀仏の浄土を指すようになっていった。阿弥陀仏の浄土は極楽という。説明に付け加えるなら「阿弥陀仏の浄土である極楽に往生し、成仏することを説く教え」ぐらいの意味になる。 極楽浄土 阿弥陀仏の浄土である極楽は仏の世界であ

          浄土教思想⑤

          ・菩薩の誓願と修行 さて、大乗仏教徒は釈迦菩薩を理想とし、自らも仏になることを目指した。そのような自分たちを「菩薩である」と自称しだした。大乗仏教徒はそれまでの仏教のあり方を自己の救いのみを求める「小乗」と貶めて呼んだ。ということは大乗仏教は自分だけでなく他人も救うことを明確にしなければならない。大乗仏教徒は仏とは自らもさとり他人もさとらせる。その働きを極めた存在であると考えた。だから仏を目指す自分たちの修行、菩薩行は「自分も他人もさとらせる」ことであることとした。 我々が菩

          浄土教思想④

          ・大乗仏教の思想 大乗仏教の思想は非常に多岐に渡るためここでは浄土教と関係の深い「菩薩思想」と関連する思想を説明する。 菩薩 まず、「菩薩」とはなにか。これは「さとりを求める衆生」という意味で解釈される。 菩薩とはもともと仏になる前の釈尊、即ち釈迦菩薩を指すものであった。釈尊(ブッダ)はどのようにして菩薩になったのか。ブッダは29歳で出家してから6年の修行を経て35歳でさとりを開いたがやがて6年間の修行だけでさとりを開いたのではなく、過去の世の中における修行を経て成仏したと

          浄土教思想③

          「なんとか仏に会いたい」と修行に励んでいた仏教徒の中に奇跡、神秘体験をするものが現れた。どのような神秘体験かというと、瞑想中や夢の中で仏の姿をみたり、声を聞いたりした。このような体験をした仏教徒は仏が現れたり呼びかけたりすることはどこかに仏が存在するからだと考えるようになった。彼らは「世界に同時の仏は出現しない」と考えた。この「世界」は全世界ではなく「ある特定の世界」と考えた。つまり、我々の世界は弥勒仏の出現まで仏がいない世界だが、それ以外に仏が存在する世界もあると結論付けた

          浄土教思想②

          過去にも仏がいたならば未来にも出現するはずだという未来仏思想も当然ながら成立した。この未来仏は『弥勒仏』とされ、これはすでに決定していることであると考えられている。 次に成仏する仏がすでに弥勒仏と決定しているということは弥勒を差し置いて仏となるのは不可能なことである。結論を先取りするとこの点について部派仏教と大乗仏教の見解の相違が生まれた。仏教には『一世界一仏教化論』という考え方がある。「世界に同時に2人以上の仏は存在しない」という考え方である。この「世界」について部派仏教は

          浄土教思想①

          浄土教と関わりの深い「仏」「仏の住む世界」に絞って大乗仏教の興隆について触れてみたい。 ブッダの本体はなにか?という問題はブッダ在世の頃から存在した。ブッダが入滅した時、その遺体は火葬され遺骨は分骨されストゥーパに納められた。ブッダの本体とはその遺骨なのかそれとも別のものなのかという問題である。 そしてまもなくブッダの本体とは遺骨ではなく『ブッダが覚った真理(ダルマ)』と考えられるようになった。そうであればブッダ以外にも過去に存在したはずの仏が存在したのではないか。ブッダ在世

          ブッダのおしえとは⑨ 『空』の思想

          大乗仏教では、『空』の思想が基本となる。その『空』の出発点は『諸行無常』『諸法無我』にある。 『空』とは『すべての存在に実体はない』という意味で、ものごとはすべて移り変わるということだ。 〇諸行無常 この世の全てのものが変化してやまない 〇諸法無我 永遠に変わらない実体はない 例えば、ものごとには浄も不浄もないということを最初から知っていればそのようなこだわりが生まれることはなく、従って執着も存在しない。 つまり、一切はみな『空』である(=『一切皆苦』)の真理を悟ること

          ブッダのおしえとは⑨ 『空』の思想

          ブッダのおしえとは⑧十二支縁起説

          『無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死』⇐順番はこの順番で変わらない 『無明』 四諦八正道などの仏教真理に対する無知であり、根本煩悩と呼ばれる。無明に縁って行が生じる。 『行』 行為、つまり業のことで身口意の三業。業に縁って識が生じる。 『識』 認識する働き。心のこと。識に縁って名色が生じる。 『名色』 五蘊のうち受、想、行と色の各蘊。また心身、あるいは識の対象となる全てとされることもある。名色に縁って六処が生じる。 『六処』 眼、耳、舌、鼻、身、

          ブッダのおしえとは⑧十二支縁起説

          ブッダのおしえとは⑦縁起の思想

          仏教の基本的立場として一貫して貫くものが存在しないわけではない。むしろ、間違いなく仏教である限りは共通する一貫的立場は堅持されていると見るべきである。 それではそのような基本的立場はなにかというとまず躊躇なく挙げられるものとして、世界のあり方つまり存在を要約する『縁起』の考え方がある。初転法輪の時にも既に見られるように仏教の根本的考え方として重要である。 『縁起』の語源は「縁(よ)って起こる」という意味である。「これによって起こる」とも表現される。一般的に世界全てのものは

          ブッダのおしえとは⑦縁起の思想