浄土教思想⑤
・菩薩の誓願と修行
さて、大乗仏教徒は釈迦菩薩を理想とし、自らも仏になることを目指した。そのような自分たちを「菩薩である」と自称しだした。大乗仏教徒はそれまでの仏教のあり方を自己の救いのみを求める「小乗」と貶めて呼んだ。ということは大乗仏教は自分だけでなく他人も救うことを明確にしなければならない。大乗仏教徒は仏とは自らもさとり他人もさとらせる。その働きを極めた存在であると考えた。だから仏を目指す自分たちの修行、菩薩行は「自分も他人もさとらせる」ことであることとした。
我々が菩薩になるにはどうしたらいいのか。それは「仏に成りたい」と思えばいい。そのように思うことを「菩薩心を発す(発菩提心)」という。大乗仏教徒は自分たちは小乗ではないというのであるから、この「仏に成りたい」という心は「仏と成ってあらゆる衆生を苦しみから救いたい」という心のことである。菩提心とは「上にはさとり(菩提)をもとめ、下には衆生を教化する」という心であるという。この心は、全ての菩薩が発す誓いでもあって「総願」ともいう。
このように自分、他人の区別なくすべてを救い取る、さとりを得させることを目的とし、そのために修行する存在を菩薩という。
この菩提心を発して菩薩となった者の修行はなにか。それは「六波羅蜜」の実践である。
「六波羅蜜」とは…
布施…与えること。物質、真理、安心の3つ
持戒…戒律を守ること
忍辱(にんにく)…苦難を耐え忍ぶこと
精進…たゆまず実践すること
禅定(ぜんじょう)…精神を統一すること
智慧(ちえ)、般若…真実の智慧を得ること
特に6つめの智慧(般若)波羅蜜が肝要とされた。
この大乗菩薩道を実践中の菩薩数多く存在すると考えられるようになり、また完遂(かんすい)した仏も数多く存在すると考えられるようになった。その仏のひとりが西にある「極楽」という浄土に今も存在する「阿弥陀仏」という仏である。阿弥陀仏は現在他方思想や菩薩思想といった大乗仏教思想の典型的な仏である。
大乗経典に現れる、阿弥陀仏や観音菩薩といった大乗の仏、菩薩は自分たちもそうありたいという目標であった。しかし同時にそのような利他行を実践している仏、菩薩の救済対象になりたい、救われたいという信仰も生まれ、仏、菩薩は目標であるとともに信仰の対象ともなった。
阿弥陀仏という仏を信仰の対象とする教えを「浄土教」という。
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