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リラックスしてみて.。.:*🕊️
不思議な感覚があります。それについてお話させてください。(結論は3本目の区切り線以降です)
私は運動するのが苦手なので、たとえば体育の先生やプロの指導者などからコツを教えていただいても、うまく掴めたことがほとんどないです。
運動が得意な人というのは、それに特化した特異な感覚を持っているんだと思います。例えば筋肉の動かし方や緩ませ方、手足をバラバラに動かすときの絶妙な感覚かもしれません。
私はそのような感覚が培われてこなかったので、例えば「スナップを効かせるように」とか「しなやかに遠くに腕を伸ばす」などと言われても、体のどこをどう動かせばそのように動けるのかがわからないのです。
これは運動に限らず、歌や美術などにも言えるかもしれません。私は学生なので時折思うのですが、文章を読解するのにも、得意な人が持つ感覚というのがあるように思います。
まえおきが長くなりましたが、不思議な感覚というのは、「体は自分が想像していたようには動かない」というものです。
少しでもわかりやすいように歌う際の感覚を一例に挙げてみます。(素人なのでプロの方々、間違いあったらごめんなさい。)
私は声が通る方ではなく、詰まったりくぐもったりしがちです。「通る声を出そう!」と思うと少しでも大きい声を出そう/声を張ろうとし、力みがちになります。しかし私の場合、実際は喉がリラックスしているほうが遠くまで通り響くような声が出やすいです。
私はこの事実にギョッとしました。「もしかすると、自分の感覚と実際の体の動き方のズレは他にもいっぱいあるかもしれない…」とおののいています。
そこから少し話は飛びますが、これは普段の生活や大きく言うと「生き方」にも言えるんじゃないかなと思ったりもしました。
自分の認識とは相反して起こってしまう、一見矛盾した現象。
・誰かのために!という自己犠牲に近い感覚
⇛なぜか自分も相手も幸せになれていない🥲
・人の評価が気になりすぎる、よく思われたい
⇛何も気にしてない子のほうがうまくやってる🥲
・とにかく楽をしたい
⇛あれ?怠惰になりすぎると逆にしんどい🥲
・ちゃんとやらなくちゃ!の思い
⇛焦って失敗がふえてる🥲
などなど。これは全部私の感覚です。
「うまくやろう!」とするほど変な力み方になり、結局もやもやしています。
普段何かするときに意味や意義を考えてしまいがちですが(どうしたら意味のある生き方になるのか…など)、そういったポリシーやセオリーは捨ててしまっても、案外いい日々を送れるんだろうなと思うんです。
強くあるために強い力を要することはなく、優しくあるために無理に優しくなろうとする必要はないんだと思います。
不思議なことに良い人生・日々を送るために、良い人生を送ろうと考える必要はないのだと思いました。
ほどよいリラックスは最後に良い結果をもたらしてくれるはずですし、それでも最後には結果なんて気にしなくなってるんだと思います🕊️
グダグダになっちゃってますが、軽やかーに生きてもいいかなと思えた日でした🕊️