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さびしさをひとつずつ『微熱期』

今回紹介するのは峯澤典子の『微熱期』です。
2022年11月に放送された「silent」というドラマで、聴力を失った佐倉想(目黒連)が読んでいたことで話題になりました。
『微熱期』の他には『水版画』『ひかりの途上で』『あのとき冬の子どもたち』を出版されています。

詩集といえば基本的に複数の詩作品を集めたものになりますが、一つの詩を読み終わり次の詩に移るとき、ぶちんと世界が切り替わるわけではなく前の詩で感じた詩の匂いがまだ漂っていることがあります。『微熱期』では特にその印象がありました。

三日月を見る それだけのために家を出た
こころは 冷えた寝台に置いたままで
ほんとうの言葉はだれにも聞こえない
鍵をなくした抽斗の奥の スノードームの吹雪のように

『微熱期』峯澤典子(p.57)

まず、短い詩群があったのでその中から一篇選んでみました。
底のないさびしさを感じる詩です。私自身、そんなさびしさを感じたことがあるような無いような、それとも無自覚だったのか忘れてしまったのか、そんなさびしさのひとつを思い出すような体験をしました。

この本の詩はうつくしく新鮮なイメージを持ったものばかりです。
私が特に好きな詩は「こと うたと」と「消印」です。
「消印」は曲がつけられ合唱曲にもなっています。
詩の一部を紹介します。

もう すうじゅうねんも
めざめるまえに ほおにふれては きえる
かすかな こえ

たとえば さざなみ、いえ、それは
ひとのかたちをもつまえの 子が
ひそかに ながした ささのはが
月あかりのなかで まどう ささやき

『微熱期』「こと うたと」峯澤典子(p.102)

あのとき ふれた
肩のつめたさだけが
見えない月あかりのなかで
最後の消印のように
蝉の声のまぼろしに
溶けてゆく

『微熱期』「消印」峯澤典子(p.107-108)

うっとりとしてしまいます。うつくしいだけではなく、こころの中にあった虚ろなものが一瞬浄化されたような心地になるのです。

最後に
ドラマの話に戻りますが、どうして佐倉想は『微熱期』を好んだのでしょうか。それは物語の中でどのような意味があったのでしょうか。偶然選ばれただけ、とは思いません。きっとこの本は沈黙の中で生きる佐倉想の、周りの人とはなかなか共感できない特殊なさびしさにそっと触れることができたのだと私は思います。
ほんとうに多くの人に読んでもらいたい詩集です。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
次回は読書感想をお休みし、私が実践してみて良いと思った朝活読書ルーティンについての記録を書きます。

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