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考えたこと・思ったことをまとめたマガジン

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毎日の中で考えたことをまとめたマガジン。「コンテンツ会議系マガジン」に含まれないnoteは、全てこのマガジンで読むことができます。他のマガジンとも被る時があります。
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#コラム

失うものは、何もない。

小学生ぶり以来に、トランプの大富豪にハマった。 大富豪のルールは大抵の人が知っていると思うけれど、その中でも他のゲームにはない特徴的なものが、ゲームの勝者と敗者が次戦でカードを交換しなければいけないというもの。 今考えると、お金持ちの人にお金が流れていく様がいやにリアルな反面、カード交換によりカードが四枚揃いやすくなり、一気にカードの強さが入れ替わる「革命」が起こりやすくなるのだから、よくできたゲームだ。 カード交換ともう一つ、都落ちというルールもある。これは、大富豪以

働ける総量はきっと同じ

アメリカの大学にいると、本当に同じスケジュールで日々を過ごす。だいたい同じ時間に起きて、ご飯を食べて、授業を受けて、寝る。 一方で、日本で過ごす長期休みは全く逆。家を出る時間も帰る時間も、どこで何をするかも毎日バラバラだ。 不規則な生活だと、気分や集中力の変化の理由がわかりづらい。なんとなくやる気が出ない程度の不調の原因が、前日動きすぎたのか、精神的なものなのか、私とは何も関係のない気圧なのか、特定できないのだ。 ところで前学期、少し無理をして活動した。普通の人より授業

短距離走に見せかけた、持久力レースで走り続けるには。

半年ほど前、やりたいことが見つかったと言ってnoteの毎日更新を休止した。 まだ半年か、という感覚になるくらいには、いろんなことをしたと思う。 「コピーライターほぼ全史」という、これが歴史の教科書だったら絶対に読み終わらないであろう厚さの本も終盤に差し掛かり、コピーライターというのはなんて終わりのない仕事なのだろうかと思った。 そしておそらく、どんな仕事でも本気でやろうと思ったら、終わりがないのだ。 常に時代は変わり、若い子が意味のわからない言葉を使いだし(高3の妹に

悩んでつらいときは、ペンと紙を取り出そう。

わたしには昔から、書くことで気持ちや思考を整理する習慣がある。 頭の中をぐるぐると同じ悩みが回っていることに気がついたら、ペンを取り、紙に書き出す。思っていること、一見関係ないような思いつきもそのまま書き連ねる。自分と会話をするように。 日記と呼べるほど、毎日決まった時間に書くわけではない。そんなことを思っていたら、アメリカで「ジャーナリング」という言葉に出会った。 Journaling is a personal record of occurrences, expe

選ぶことは、捨てること。

何かを選ぶ。私たちが毎日していることだ。 朝食のメニューくらいなら、簡単に選べる。しかし、それが仕事や恋人のように人生に大きく関わることになると、私たちは迷う。 それはなぜかというと、何か一つを選ぶということは、他の全ての選択肢を捨てるということでもあるからだ。 私は生まれて二十年間、選ぶことから逃げてきた。 言い換えると、選択肢を増やすことを一番に考えていた。 だから面白いと思ったもの、やっておいて方が良いと言われていること、あとで役にたつかもしれないと思ったもの

評価されずに、選ばれる。

毎日noteをお休みし始めてから一ヶ月。アウトプットがなくなると、発信する癖がなくなる。 誰かに向けた言葉ではなく、輪郭も色もはっきりしない感覚が、自分の内側に積もるようになる。 この一ヶ月、何かを感じずにはいられないようなできごとがたくさんあった。私の感覚だと、あまり楽しくないものの方が多かった。 みんなが知っているニュースや、ツイッターでのあれこれや、昨日受け取った八月のサマーインターンの不合格通知なんかがそれなんだけれど、うーん。 面接が苦手すぎて、人生で一度も

やりたいことができるまで、目の前のことを全力で。

やりたいことがあるならそれを全力で。やりたいことがまだ見つからないなら、目の前のことを全力で。 人生はきっとそれさえ守っていれば、なんとかなるようにできている。 やりたいことを見つけるのは難しい。 しかも、一度やりたいことが見つかっても、それが本当にやりたいかわからなくなって、ゴールを見失うことだってある。 でもそんなときは、目の前のやるべきこと、そしてゴール探しに全力になればいい。 そしてもし幸運にもやりたいことがあるのなら、周りからの評価も失敗も気にせず、それ

ファンでいることは、世界を好きになること。

大抵の人は、ファンだ。 ファンの元の意味は「スポーツや芸能、また選手・チーム・芸能人などの、熱心な支持者や愛好者」らしい。 しかし日常生活では、対象が人でなくても、何かがすっごく好きなのであればファンと呼んでいる気がする。タピオカのファンとか。 そして、ファンであることは楽しい。 娘のわたし、生徒のわたし、友達のわたしなど、いろいろなわたしがいる。 その中で、一番人生を楽しんでいるのは、ファンのわたしになっているときだと思う。 本当に好きなものと接するとき、今まで

10分粘りの馬鹿力

私は、粘るのが苦手だ。でも、粘りの力を実感して、ねばねば力を上げなければと思い始めた。 今までは、最後の10分で結果が変わることがあまりなかった。 たとえば、入試の前10分間死ぬ気で勉強しても、夏休みから半年間コツコツ頑張った人には勝てない。 文章もそう。締め切り前ギリギリになって慌てて書いたものよりも、何度も推敲して構成や見出しまで凝ったものの方が仕上がりに満足する。 もちろん、最後の10分でかけた山が当たって一問多く解けたり、最後の10分で最高の締めが思いついたり

加点方式で生きる。

世の中には、加点方式で生きている人と、減点方式で生きている人がいる。 今を0点として、100点を目指すのが前者。 私はこのタイプで、あれができるようになった、これができるようになったと、加点をして生きている。 一方で、目標を0点として、今をマイナスで捉えるのが後者だ。 完璧な状態から、あれができていない、これができていないと減点して今を分析する。 心理学的に、人はネガティブな情報に動かされるらしい。 たしかに「これもできた方がいいよ」よりも、「これができていない」

あっという間が、どうしても怖い。

集中すると、あっという間に時間が過ぎる。 それが、少し怖い。 数時間の話なら、構わない。 集中して効率よく作業が終わるなら、その方がいいだろう。 でも、それが数年になったら、数十年になったらと想像し、どうしても足踏みをしてしまうのだ。 小さい頃、母親がよく言っていた。 「ここにイチゴを置かれても気づかないくらい、目の前の問題に集中しなさい。」 今の私は、イチゴに気がつけないのが怖いのだ。 それは、老後になって無我夢中に働いていた自分を振り返り、大切なものを見失

3万7千人の人生が交差した夜。

言葉の限界と、言葉の力を同時に思い知った週末だった。 土曜日に、君の名はの主題歌「前前前世」などで有名なRADWIMPSのライブに行ったのだ。 RADのライブ会場である海浜幕張のZOZOマリンスタジアムには、3万7千人が集まった。 開演時間ギリギリに会場入りした私は、びっくりした。 目の前に広がる、人、人、人。 それだけの人数が、彼らの音楽を聞くために集まったのだ。 ライブ中、一人きりな私と、その場を俯瞰する私が、交互にやって来る。 ステージ上の洋次郎に釘付けに

並行読みの脂が乗ったおいしい時期。

最近本を同時読みしていた。 寝る前に読む本、電車で移動しているときに読む本、リビングで読む本など、特に決めていたわけではないけれど、そのときその場にある本を開いていたらどんどん読みかけが増えていった。 そして、それがそろそろ終わりそうなのだ。 昨日一冊読み終わり、他の三、四冊ももう少し。 同時読みが、こんなしあわせな期間を生むとは思わなかった。 本の結論、一番おいしいところ。いろんな問題が解決したり、作者の思いが乗ったところ。それだけを読み続けられるのだから。 何

小学生の頃の夏休みに、少し戻りたくなった。

夏休みのことを色々考えていて、私が小学生の頃どうだったかなと思い返してみた。 うちは共働きだったので、妹と二人で留守番していたと思う。 リビングだと電気代がもったいないから、小さめの両親の寝室にクーラーをかけて、宿題をしたりビデオを見て、日中過ごしていたはず。 思うとか、はずとかをつけてしまうくらい、曖昧な記憶の中に、二つ鮮明な記憶がある。 一つ目は、妹のチャレンジの付録でついてきた、おもちゃを作ったこと。正しくは、作るのに失敗したこと。 妹は小学一年生で、私は小学