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評価されずに、選ばれる。

毎日noteをお休みし始めてから一ヶ月。アウトプットがなくなると、発信する癖がなくなる。

誰かに向けた言葉ではなく、輪郭も色もはっきりしない感覚が、自分の内側に積もるようになる。


この一ヶ月、何かを感じずにはいられないようなできごとがたくさんあった。私の感覚だと、あまり楽しくないものの方が多かった。

みんなが知っているニュースや、ツイッターでのあれこれや、昨日受け取った八月のサマーインターンの不合格通知なんかがそれなんだけれど、うーん。

面接が苦手すぎて、人生で一度も受かった経験がなくてどうしようかなという悩みはありつつ(誰か助けて欲しい)、周りを見渡しても世の中楽しくないなー!と思ってしまう。

思ってしまうんだけれど、これはきっと私の問題だ。


暗いニュースが多いなんて、親が小さい頃からロックバンドが繰り返し歌っている。

私が周りを見渡してルンルンしていた少し前と、世の中はきっと変わっていない。

じゃあ何が足りないかと言われれば、景色が明るく見えるようなハッピーレンズだ。物事のポジティブな面に注目して、自分の周りにある小さな幸せに気づくこと。

黒りすとしてやろうとしていることがそのハッピーレンズをかけた人を増やすことなんだけれど、今の自分がそもそもそのレンズをかけられていなくて、じゃあ何が足りないんだろうなと今考え始めた。

今の私は、どこにも所属できていないから。これが理由な気がする。


「私はあなたを選ぶ、なぜなら友達だから。」

そう言い切れることって、不公平だけど、素敵なことだなと思う。

インターンに落ちた話に戻るんだけれど、何度面接を挟んだところで、一度しか話さなかった面接でその人の全てが伝わるわけないと思っている。

とはいえもし受かっていたら調子に乗って、私の能力が認められた、私の個性が評価されたと思ったのだろう。

それも間違ってはいない。

その場で認められた人は、認められるだけの何かを持っていた。でも、その場で認められなかった人は、認められるだけの何かを伝えきれなかっただけだ。私はそう思っているし、就活に対して愚痴をこぼしている友達のつぶやきを見ていても思う。

学生が同じ服に髪型で並べられ、能力なんかを等しく比べられるような場所がある。その一方で、能力が劣ろうが、その時調子が悪かろうが、あなたを選ぶと言ってもらえる関係性がある。それってすごく特別なんじゃないだろうか。

それは結婚など、人が肩書きを欲しがる理由にもなるのかもしれない。

どんな罪を犯していたとしても、妻だから僕は味方になる。そんな関係に憧れているのは私だけではないはずだ。


能力だけで判断する世界もあるし、それを好む人もいる。機会や環境の不平等はあれど、公平ではある。

肉親だから、同じ会社だから、付き合っているからと、何もかも許容していたら、お互いのためにもよくない結果がいつか訪れてしまうだろうから。

しかしその一方で、この人だから多少の粗があっても選びたい。この人だからまたチャンスをあげたい。そんな理由が機能する世界の美しさを忘れないでいたい。

そしてそんな美しさを実感するには、どこかに所属する必要が出てくる。だからわたしがハッピーレンズをかけるために必要なのは、どこか所属することなのかなと考えた。

言い換えると、誰かと繋がって、好きや個性を共有する楽しい世界を、まずは自分でつくる。それが、世の中の楽しさに気がつくために必要なのかもしれない。

*フォロワーがいつの間にか200人になっていました。とっても嬉しい!これからもよろしくお願いします。

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