短距離走に見せかけた、持久力レースで走り続けるには。
半年ほど前、やりたいことが見つかったと言ってnoteの毎日更新を休止した。
まだ半年か、という感覚になるくらいには、いろんなことをしたと思う。
「コピーライターほぼ全史」という、これが歴史の教科書だったら絶対に読み終わらないであろう厚さの本も終盤に差し掛かり、コピーライターというのはなんて終わりのない仕事なのだろうかと思った。
そしておそらく、どんな仕事でも本気でやろうと思ったら、終わりがないのだ。
常に時代は変わり、若い子が意味のわからない言葉を使いだし(高3の妹に、今これが流行ってるんでしょ?とドヤ顔で聞き、それはもう流行っていないと飽きれられるその様が自分の父親と重なって、自分で苦笑したりもする)、新しいテクノロジーが想像の範疇にしかなかったものを実現させていく。
新しいアイデアがどんどん生み出されているはずなのに、それは枯渇しない。毎年毎年、なんなら毎月くらいのペースで、なぜその言葉、そのアイデアを誰も思いつかなかったのだろうというものがTwitterのタイムラインに流れてくる。創意工夫には終わりがない。
これをやり続けられるのは、好きな人だけだと本気で思った。好き以外の理由でこんな終わりのない、なのにたくさんの時間と労力を要求されるレースに参加してしまったら、きっといつか悟りを開く。
こんなことをして、何になるのだろうかと。そして実際、何にもならない。
その人にしか思いつけなかったはずのアイデアも、世に出なければ、あれがあればと誰かを悔しがらせることもない。そもそもその不便にみんな気づいていないのだから。気づいていれば別の誰かが解決する。
人の最終ゴールが幸せであるからこそ、仕事が幸せの一部でない限り、全力疾走は続かない。別に誰しもが仕事で幸せを感じる必要なんてないが、私が参加しようとしているのは、全力疾走を「続ける」ことが求められる、短距離走に見せかけた持久力レースだ。
何で見かけたのか忘れたが、好きだという気持ちこそが才能だという言葉。左利きのエレンだったか、左利きのエレンに出てくる人はそんな甘いこと言わないかなどと思いつつ。
コピーライターの世界に深く足を踏み入れるほど、それが真実に思えてならないのだ。
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