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選ぶことは、捨てること。

何かを選ぶ。私たちが毎日していることだ。

朝食のメニューくらいなら、簡単に選べる。しかし、それが仕事や恋人のように人生に大きく関わることになると、私たちは迷う。

それはなぜかというと、何か一つを選ぶということは、他の全ての選択肢を捨てるということでもあるからだ。


私は生まれて二十年間、選ぶことから逃げてきた。

言い換えると、選択肢を増やすことを一番に考えていた。

だから面白いと思ったもの、やっておいて方が良いと言われていること、あとで役にたつかもしれないと思ったもの、全部に手を出してきた。「10代の頃にやっておくべきこと」なんてタイトルの本は大好物だった。

それも、良かったと思う。

良いアイデアの出し方に、広げてから選ぶというプロセスがある。

関係ないものも含めてごちゃ混ぜにして、質にこだわらずまずたくさんアイデアを出して、出し切ってから選ぶというもの。

同じように、人生をかけて成し遂げたいことや、一生添い遂げる人なんて、いろんなものに触れなければ出会えないと思うから。


そして私は実際に、広げて広げて、これかなというものを見つけた。

もちろんこれからもいろんなことに挑戦するし、新しいものに触れることが一番の学びだと思っている。けれど、そろそろ選び始めないといけないかなとも感じてきた。

時間は有限で、体は一つしかなくて、大切なものとそうでないものを分けないと、大切なものに力を注げない。

でも、その「選ぶステージ」らしきものに突入してからわかった。選ぶってものすごく勇気がいることなんだ。


一つを選ぶということは、その他の無限の可能性を捨てることでもある。

料理人になろうと調理師に通ったら、もちろん不可能とは言わないけれど、オリンピック選手や宇宙飛行士になるという選択肢は捨てることになる。

もしかしたら、まだ知らない、私がとてつもなく活躍できる職業があったかもしれない。あと1年間自由にしていたらそれに出会えたのに、料理人を選んでしまったから出会えなかった、なんてこともあり得るのだ。

それに、他の選択肢を捨てるだけじゃない。

選ばずに、いつでも他のものを選べる状態のままでいる。そうすると、全ての選択肢の可能性を想像して、あれもできるこれもできると気持ちよくなるのだ。

そんな、選ばないフワフワとした心地よさも捨てることになる。


じゃあ、なぜ選ぶのか。どうして可能性も心地よさも捨てて、一つに絞らなければいけないのか。

それは、可能性って、つまりは存在しない空想だから。

あれもできる、これもできる。そうやって想像しているうちは、私は何もしていない。

学年が上がるにつれて、自分の道を選んでズンズン進んでいる友達が増えた。

学校の授業より、友達との遊ぶ時間より、一人でゆっくりする時間より、やりたいと決めたことに時間を使っている人。学校の成績は悪くなるかもしれないけれど、友達は減るかもしれないけれど、その分きちんと自分の選んだ道を進んでいる。

そして面白いのは、そういう人は学校の授業よりも多くのことを学び、高校時代の友達よりも深く繋がった新しい友達ができているということ。

だから、何かを選んで、他を捨てるということは、結局は多くのものを得ることでもあるのだ。空想でない、リアルな価値を。


ここまで書いたら、「これから私は、何かを選ぶように頑張ります」という結論になるはずなんだけれど、いろいろ考えた結果そうならなかった。

選ばなきゃと思うけれど、どうしても授業への準備は十分にしないと気が済まないし、体調や睡眠を保つことも捨てられなかった。それが大学生活が始まって最初の一週間のことで、やっぱり私は選ぶ勇気がないなあと悩んでいた。

そうしたら友達に、「それもあなたらしさだけどね。」と言われた。

確かに過去を振り返ると、そんなぜんぶやりたくなっちゃう性格に助けられた経験も多い。

大学受験で使わないと思っていた高校の期末テストを頑張っていたおかげで、結果的にアメリカ大学受験に必要だった学校の成績はそこそこよかったり。

広告に興味があったけれど、お誘いを受けたインターン先でウェブ記事の編集をして、言葉という武器を見つけたり。

そんな経験があるから、選ぶべきとわかっていても、あとで使えるかもといろんな選択肢を溜め込んでしまうのだろう。


わたしは今まで、正解探しをしてきた。

これが正しい、あれが正しいと世の中で言われる中で、自分が本当に正しいと信じられるホントを求めてきた。

しかし最近は、「正しい」と「自分に合っている」の区別も大切なことに気がついた。

正しいものも、あまりに自分に合わないとストレスだったり、自分らしさをなくす原因になってしまうのだ。

正しくない、一番効率が良い方法じゃない。でもどうしてもこれに落ち着いてしまう。そんなだめな自分らしさも受け入れつつ、新しい自分を開拓していきたいなと思う。

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