逢坂 志紀

坂の途中で出逢い、共に志を紀す。あなたともそんなふうに。幸福請負人。モットーは助平。

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あなたがくれたチュッパチャップス

  半年ぶりに、実家に帰って来た。  新しい彼氏が出来て、ケンカをしながらもそれなりに順調で、年齢的にも結婚の話が出てきたりなんかもして。  そんなことがある度に、わたしはあなたを思い出す。  小学生の頃からずっとわたしの部屋に鎮座する勉強机のひきだしを開ける。  そこには、あなたがくれたチュッパチャップス。  あんなに劇的で、だけれど間抜けた告白を受けたのは、最初で最後だった。  もしあなたが、あの頃、小学五年生の春先に転校をしなければ、わたしたちはお付き合

    • ぼやき

      芽を摘むとはどういう状況なのだろうか? 少し前に多肉植物のアガベを買った。noteに書いたか忘れてしまったので、二度目の報告になっていたらまたかよと思いながら読んでもらいたい。 アガベはメキシコ原産の多肉植物で乾燥地帯の植物である。だから購入する時にお店の人に念押しされたのは「水をやりすぎないでください」ということだった。 その言いつけをしっかり守った僕は十日、十日、半月と期間を空けながら今日ようやく三度目の水やりをした。 さて冒頭に戻ろう。芽を摘むとはどういう状況な

      • 「でも」のあとが優しい世界

        人に勧められてアマゾンプライムで映画を見た。 タイトルは「パンとスープとネコ日和」。同じ監督の作品を何作か紹介してもらって見はじめて僕は完全にその作品たちにハマってしまった。 どの作品にも必ず小林聡美、もたいまさこ、光石研といった俳優陣が出演している。中でもとりわけ僕はこの「パンとスープとネコ日和」にハマってしまった。 とにかくその作品の中の世界が優しい。登場人物が優しい。なんだか穏やかな気持ちになれて、くさくさして過ごすことの多い僕にしてはこれらの作品に触れたひと月く

        • 人のぬくもり

          一週間前に多肉植物のアガベを買った。 先週の金曜日に買ったので家に迎えてまる一週間になる。 その子は僕の部屋のど真ん中に鎮座していて、そこはさながら僕の部屋の天守閣である。 ここ一年ほど知人の言葉をきっかけにある場所で珈琲を淹れさせてもらっている。月に二度ほどのペースである。 珈琲豆は僕が通う喫茶店で調達している。僕に珈琲による収入が生まれるわけではなくて無料での提供ではあるけれど、豆はそのある場所が負担してくれているので僕はいい実践練習の場を得ていることになる。

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        • 好きなnoteたち
          41本
        • 渚のために
          0本
        • 逢坂志紀掌編集
          50本
        • コロナ戦記
          0本
        • 酒屋物語
          0本
        • オレは女が嫌いだが
          12本

        記事

          ひょっとすると僕の人生に本当の意味の挑戦ってやつはなかったのかも知れないなって話

          強権的な父の元で育ったと自負している。こうでなければならないという父の価値観に染まって育ったと自負している。 それが当たり前で普通で、当然のことだと思って来た。でもそうではないのかも知れないとここ数年思う。 忘れられないのは大学進学を考える時期に差し掛かった時のこと。当時僕は進学の意志はなく、かといってこれがやりたいということもなくただ目の前にある高校野球に没頭していた。 学校のクラスメイト達は遊ぶために大学に行くと言う。僕はそんな気持ちにはならなかった。明確にこういう

          ひょっとすると僕の人生に本当の意味の挑戦ってやつはなかったのかも知れないなって話

          報告

          noteでの活動のペースは少し緩やかになったこの二年ほど。 こっそりむっつりタイプの僕はせこせこ文章を書いてはあちらやこちらのコンテストに応募していた。 そして今年七月。ひとつの郵便物が我が家に届いた。 一時期、我が家に僕の名前で届く郵便物はなかった。僕が世間と絶縁状態になったからだ。わずかな糸を垂らし続けた結果、それに獲物が食いついた。 佳作をもらった。 後日作品集になるらしく、校正の依頼のメールが送られてきた。そして先日、正式に発表があってようやくおおっぴらにで

          フィーリング

          心と気持ちは別の物だ、それをはじめて感じたのはもう六年ほど前になる。 当時僕は障害を患い、社会復帰を目指すも上手くいかずに精神科に通院する日々を送っていた。 自分でノートに気が付いたことや思ったことを日記として記し始めたのもそのころからだ。 心は英語でheartやmindと現すらしい。それに対して気持ちはfeeling。 心で感じることが気持ち、というのがスタンダードな見方だと思う。 だが僕は当時も今も心と気持ちを混同してしまう。グチャグチャに混線していて、自分の心

          フィーリング

          エクスカリバー

          秋がはじまりを静かに告げている。 昨日、神社で少したそがれた。夕暮れにパンを食べながら蚊を払い、秋の虫の声を聴いて過ごした。 秋の準備としてブーツの手入れをしようと思っている。シーズンアウトしたブーツはブーツの中に乾燥剤を入れてさらに購入時の箱に入れてしまう。そして時々、思い出したように風を通すのに部屋に出す。 そろそろブラッシングをして靴箱でいつでも臨める状態にしておいてあげたいなと思った。 僕のブーツはレッドウィングのベックマンというブーツだ。色はブラックチェリー

          エクスカリバー

          ご自愛ください、自分様

          最近noteに向かう時は試運転のような形になる。 昨日、一昨日と書くことを休んでいきなり自分の臨みたいテーマに向かうのではなくて仕切り直して少し肩の力を抜いていく意味合いが強い。 かなり行きづまっている。どんづまりと表現してもいいだろうと思う。 今自分の取り組んでいることが一体何になるんだろう? そんな思いにならずにいられない。好きなことをしているのだからそれでいいじゃないか、そう言われればそこまで。しかし僕はそこまで割り切れない。 自分で悲壮感が漂っていることを感じ

          ご自愛ください、自分様

          ブレイク

          オリンピックで話題になっているブレイキンの話ではない。書くことを休んで一週間、久しぶりにパソコンをあげた。だからこのタイトルのブレイクは僕の書くことの休暇のブレイクだ。 少し大きめの動きが書くことの中で起こって、自分で気負ってしまった。いい文章書かないと、みたいに。 なので少し意図的に休みをとることにした。書こうとすれば書こうとするほど気負う。それがこの一週間休む前の調子。 休んでみて感じることは「書きたい」衝動で書くことと「書かなければ」という義務感で書くことの差。

          テリトリー

          暑い夏がやってきた。毎年酷暑、酷暑と叫ばれて年々激しさを増す暑さ。 こんなにも汗をかいている夏はおそらくはじめてだ。 さて、今日はテリトリーの話をしようと思う。人にはテリトリーがある。領域というやつだ。最近、僕は他人から指摘される内にものごっつい他人の顔色をうかがっていることに気が付きつつある。 それは一緒に過ごす誰かに留まらず、周囲の人々という規模で顔色を気にしている。 例えば電車に乗ったとする。座席に座ったとして、そこですぐに周囲を確認する。ご老人はいないか、妊婦

          テリトリー

          レジェンド

          暑い。梅雨明けの声を聞く前に35℃を超える猛暑に溶けてしまいそうだ。 最近、音楽を聴いていて勝手にノッている自分がいる。音楽、とは読んで字のごとく音を楽しむことが本質なのだろう。 僕はいつの間にか流れている音楽を聴いて、楽しいと感じるようになってきた。 僕の文章をずっと読んでくれている方はご存じだと思うが、僕は精神を病んだ経験がある。だから死にたい、消えたいというのは自分の中のスタンダードでそれはずっと変わらないのだろうと思っていた。 今日の午前中、お気に入りのサック

          レジェンド

          生きていることに価値はあるのか? そして自分は生きている価値はあるのか? 問題に終止符を打つ。

          薬が減った。だいぶ減った。 一番変わったのは眠前に飲む薬がなくなったこと。ここ数ヶ月なしで眠っているが普通に寝ているし、なんなら体は軽井沢。 いいとこの坊ちゃんよろしくハーフパンツにロングの靴下を履いてファーッと叫べそうなくらいである。 今日、クリニックに行った。主治医と色々話をしたのだが、将来の展望について聞かれた。ちょっと逢坂氏、どうなん? と。 将来の展望は伏せておくことにして、そのあとの話をどうしても文章にしたくなった。 「バイタリティとか、そういうもの。そ

          生きていることに価値はあるのか? そして自分は生きている価値はあるのか? 問題に終止符を打つ。

          よっ!大統領!

          部屋がキレイだ。何度も何度も片づけを試みて、また散らかしてを繰り返してついにここまでたどり着いたかと自分でも軽く感動を覚えるくらいキレイになった。 僕の部屋と言うと、思春期には使わない教科書たちが床に散乱していたくらいで布団をたたむことも洋服をたたむことも知らなかった。 それは二十歳をすぎた頃も変わらず、まあこのまま汚い部屋を汚いとも思わず過ごしていくのかなとかなんとかかんとか思っていた。 しかし、ここ数年だろうか。やはり汚い部屋が嫌になり少しずつ少しずつ部屋を片付けて

          よっ!大統領!

          これまでどう生きて来たかより、これからどう生きて行くか。

          メジャーリーグベースボールやプロ野球が開幕してひと月ほど。 球春がやってきて、それぞれのチーム、選手の活躍がニュースとして報道されている。 ひと月も経てばある程度の数字が残って、成績も出て来るわけだが……仮定の話をしたい。例にとるのは今一番有名な日本人の野球選手の大谷翔平選手にしようと思う。 押しも押されぬ素晴らしい成績を残して、所属チームのロサンゼルスドジャースの躍進に貢献している。しかし、唯一得点圏打率という点においてあまりいい数字が残っていないことはご存じだろうか

          これまでどう生きて来たかより、これからどう生きて行くか。

          体至上主義社会

          現代は言わずと知れた資本主義社会である。 資本主義社会とはお金、つまりmoneyが一番という世の中のことである。 しかし日本語にはこんな言葉がある。体が資本。 資本主義社会という言葉にこの体が資本を当てはめるとこういうことになる。“体主義社会”。 しかしどうだろう? 今の世の中もてはやされているのは脳科学や精神論である。ちょっと待てみんな、おかしいだろう。体が資本で、今は資本主義社会なのだから体主義社会なのではないか? などと言おうものなら「何コイツ、めっちゃめんどく

          体至上主義社会