テリトリー
暑い夏がやってきた。毎年酷暑、酷暑と叫ばれて年々激しさを増す暑さ。
こんなにも汗をかいている夏はおそらくはじめてだ。
さて、今日はテリトリーの話をしようと思う。人にはテリトリーがある。領域というやつだ。最近、僕は他人から指摘される内にものごっつい他人の顔色をうかがっていることに気が付きつつある。
それは一緒に過ごす誰かに留まらず、周囲の人々という規模で顔色を気にしている。
例えば電車に乗ったとする。座席に座ったとして、そこですぐに周囲を確認する。ご老人はいないか、妊婦さんはいないかと。よく言えばホスピタリティが高いと言えるが、優しさをおもらししている状態ではないかと考えている。
優しさをおもらしする僕はおむつをしなければならないことにやっと気が付いたのだ。大勢で仲間内でいる時もそう。浮いている人はいないか、楽しくなさそうにしている人はいないかのリサーチを行う。まるでスカウターを着けて戦闘力ではなくて人々の機嫌をビーンとリサーチしている感じ。
これはね、疲れる。本当に疲れる。やっとそのことに気が付いて、気が付いた時にやめようと思った。
なぜなら僕は他人にテリトリーを侵されることがとても嫌いなのだが、誰かの機嫌をとるということはその人のテリトリーに土足で入っていることと同じではないかと。
それなら僕には他人にテリトリーを侵されて嫌だという資格などないではないか。相手を幸せにしようとか、笑顔にしようとかそういう気持ちは大切。でも相手を幸せにするためにプレゼントするとかはできてもそれに対して相手が喜ぶか、幸せになるかは僕にはどうしようもないラインである。
だが僕はその自分のラインを超えて相手のテリトリーに入って相手をどうにかしようとしている自分ってヤツを見つけたのだ。これは自分にも他人にもよろしくない。
なのでやんぴしようと思う。
一瞬でやんぴすることはできないので、ゆっくりゆっくりとやめていこうと思っている。何より、気楽に生きるのが一番。それは他人のテリトリーに入らずに自分のテリトリーに集中することが大切なのかな、なんて。
志紀