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生きていることに価値はあるのか? そして自分は生きている価値はあるのか? 問題に終止符を打つ。

薬が減った。だいぶ減った。

一番変わったのは眠前に飲む薬がなくなったこと。ここ数ヶ月なしで眠っているが普通に寝ているし、なんなら体は軽井沢。

いいとこの坊ちゃんよろしくハーフパンツにロングの靴下を履いてファーッと叫べそうなくらいである。

今日、クリニックに行った。主治医と色々話をしたのだが、将来の展望について聞かれた。ちょっと逢坂氏、どうなん? と。

将来の展望は伏せておくことにして、そのあとの話をどうしても文章にしたくなった。

「バイタリティとか、そういうもの。それがあるから逢坂さんは障害をふっ飛ばせるんじゃないですか?」

ポカンとした僕に主治医は続けた。

「そう言えば、自分障害やったわ。とか思う時が来るということですよ」

今の主治医はネットで必死に検索して見つけた人なのだが、この人を選んでよかったと心底思った。そして僕は色々と話をしたあとで言った。

「でもね、元気なんですよ。体は軽いし、希死念慮もないし。本当、信じられんです」

そんな今晩、少し考え込んでしまった。ヒマな時間が長いと考え込むのがデフォルトなので気にしないが最近は自分の分身であるキン肉マンとトムとジェリーのジェリーのフィギュアを両手に抱えて対話をする。

キン肉マンは自分の理想を具現化した自分、そしてジェリーはあかんたれな自分。今日、ジェリーはこう言った。

「オレに生きている価値なんてあるのか?」

それに対してキン肉マンが言った。

「それどういうこと?」

「なんの生産性もない自分に価値があるのかと言っている」

「生産性なんて人間ないよ? 自然を破壊し尽して、互いに殺め合って。生産性もクソもない。人間そのものに価値なんかないよ」

キン肉マンのひとことにジェリーは黙った。

以前の主治医に言われたことがある。自分が自分の治療者になること。それができつつあるらしい。

その時の主治医の言葉を今不意に思い出した。

「我々が生きている意味があるとするならば、互いに影響を与え合うためです。こうして私と逢坂さんが対話することで何かが生まれ、影響し合う。それが生きている意味です」

それらを含め、生きていることに価値を見い出すならば。今の僕はどんな言葉をつむぐのだろう。

生きることは簡単なことではないと思う。このエッジの効いたタイトルに食いついてくれた人の中にはわらにもすがる思いの人もいるかも知れない。そういう人がいるとして、その人に向けて言葉をつむぎたい。

生きている者はみんな死にます。死ななかった人間はいない。生まれた以上、いつかは死ぬ。それは今日か明日か、五十年後か分かりません。生きていることに価値があるのか? と問われたらないかも知れない、と答えます。でも生きていることに価値を見い出せるのは自分しかいないということは言い切れます。他人は好き勝手言います。それは親でも兄弟でも、愛する人でも自分の意に沿わないことを言う時もやる時もあります。だからこそ自分の人生の価値とか意味とか、そういうものは自分で守るんです。自分の人生に意味とか価値とか、ないと思ってしまうことは無理もない。今の世の中色々なことが目に見えるようになって、一方で大切なことが見えなくなっている。自分の人生の価値とか意味もその最たるものです。何かと真剣に向き合ってみるといいと思います。僕の場合は珈琲でした。珈琲と向き合っている時は僕は確かに障害をふっ飛ばしています。それがもしかすると生きている価値とか意味かも分かりません。もし仮に他人にアンタの人生に価値はない、と言われてもうるさいわ、おんどりゃあと言えないといけません。あなたに生きている価値とか意味がないと思わせるだけの何かがあったのだろうと思います。ですがそれは過去のことです。今、あなたは幸運にも生きています。どれだけ他人に何を言われても、されても自分の生きている価値とか意味は守ってやらないと自分が可哀想です。僕はいい年齢ですが結婚もしてなけりゃ、子どももいなけりゃ、障害はある。それでも胸を張って生きるしかないと思っています。長い文章になりました。何かになれば幸いです。

志紀

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逢坂 志紀
おはようございます、こんにちは、こんばんは。 あなたの逢坂です。 あなたのお気持ち、ありがたく頂戴いたします(#^.^#)