ブレイク
オリンピックで話題になっているブレイキンの話ではない。書くことを休んで一週間、久しぶりにパソコンをあげた。だからこのタイトルのブレイクは僕の書くことの休暇のブレイクだ。
少し大きめの動きが書くことの中で起こって、自分で気負ってしまった。いい文章書かないと、みたいに。
なので少し意図的に休みをとることにした。書こうとすれば書こうとするほど気負う。それがこの一週間休む前の調子。
休んでみて感じることは「書きたい」衝動で書くことと「書かなければ」という義務感で書くことの差。
「書きたい」衝動は内側からのグワァ~っという拡がっていく力だが、「書かなければ」という義務感は外側からのガッという圧縮する力。自発的かどうかという違いがそこにあるかと思う。
今は比較的「書きたい」衝動で書きはじめてみたが、それでも書きはじめてみるとどことなく「書かなければ」に染まる自分がいる。
意欲という言葉で表したり、やる気という言葉で表すのがいいのだろう。自発的に何か行動を移せることにはゆるぎない価値がある。
しかし人には必ずバイオリズムがあって、やる気の出る時期と出ない時期がある。今の僕は人生全般においてやる気の出ない時期に当たる。
やる気という言葉をモチベーションという言葉に言い換えて使われている場面が多いように感じる。モチベーションがあがらない、あるいはあげていくみたいなことを表現としてよく耳にする。
だがそもそも好きなことをする上でモチベーションの管理をすることがおかしいように僕は感じるし、こうしてなんだか少し筆が進まない調子なのもおかしい。
筆が進まないなら書くことなんてやめてしまえばいいと思うし、でもそれでも書きはじめた手前書き続けたくなる自分もいる。やる気のある状況とやる気のない状況は共存するのではないかと思う。
やる気があっても物事に取り組めばなんでもスイスイ行くわけではないし、やる気がなくて重い腰をあげてみてなんだかノッて来ることもある。
とりあえず取り組むことの重要性を感じたり、感じなかったり。
何にしても続けることの大切さを強く感じる。最近、珈琲も美味しい珈琲が入るようになってきた。それも悪い時期にめげずに珈琲を淹れ続けることができたからだと思う。
だから書くことも諦めずに続けて行こう、そういう話である。
志紀