報告
noteでの活動のペースは少し緩やかになったこの二年ほど。
こっそりむっつりタイプの僕はせこせこ文章を書いてはあちらやこちらのコンテストに応募していた。
そして今年七月。ひとつの郵便物が我が家に届いた。
一時期、我が家に僕の名前で届く郵便物はなかった。僕が世間と絶縁状態になったからだ。わずかな糸を垂らし続けた結果、それに獲物が食いついた。
佳作をもらった。
後日作品集になるらしく、校正の依頼のメールが送られてきた。そして先日、正式に発表があってようやくおおっぴらにできることになった。
最近、箱灸をしている。木箱のお灸だ。匂いもなく、火の心配もなくほぼ毎日している。なかなか毎日とはいかない。時間があっても面倒くさいが勝ってしまう。
僕が続けてきたことと言えば、本を読むことと文章を書くことと珈琲を淹れることくらい。本は二十歳ごろから一日に一度も本を開かない日はないくらいだし、文章はnoteをはじめて丸六年を迎えた。珈琲は毎日自宅で淹れるようになって丸三年経つ。
その1ページを読むこと、そのひとつの文章を書くこと、1杯の珈琲を淹れること、それらはささいなことだ。お灸もそう。一度やったからと言って劇的に変化が起こることはない。
しかしそのささいなことを積み重ねてきた結果が少し、ほんの少しだが芽吹きはじめていることを感じる。
こうしていい報告ができるのもたくさんの人や物事のおかげ。もちろん、僕自身のがんばりも無視できないけれど、僕が本を開くことや文章を書くこと、珈琲を淹れることを諦めそうになった時に必ず誰かや何かが奮い立たせてくれた。そのことは忘れずにいたい。
そしてnoteは僕自身の更新頻度が落ちてしまったから以前ほどたくさんの人には読んでもらえないけれど、それでも読み続けてくれる人がたくさんいて。もう居場所が変わってしまって会えなくなってしまった人もたくさんいるけれど、そんな人たちとの少しの縁がつないでくれたもので僕はこうして喜ばしい報告ができる。そのことを忘れないでいたい。
最後に、四年半ぶりに父方の祖父に会った。佳作をもらった文章を読んでもらい、珈琲を飲んでもらった。祖母が亡くなってちょうど十年、一人懸命に生きる祖父の姿に勇気をもらった。
「また淹れてな」
祖父の別れ際の言葉に頷いたので、再度実現できることを祈って。
志紀