noteを続ける意図
なぜ、noteを続けているのか。
2021年3月末日から、このnoteに自分のことを書いてきた。
元々も発信したいと思う気持ちもあったけれど、それを表現する場を探していた。ひょんなことから、ここで発信するようになり、9ヶ月ほど続いている。特に毎日投稿へのこだわりもないし、誰かに有益な情報を伝えようとしてやっているわけではない。もっと、根本にある自分の気持ちを表現しようとしてやっている。
自分が思った以上に、noteをやっている人と、続けている人が周りにいない。初めは意気込んでやってるのだけど、いつの間にか投稿が途絶えている人がほとんど。だから、僕もそんなふうになる気がした。続けることをやめないために。せっかく意気込んで始めたことを、おざなりにしてしまう自分を責めないように思考した。たどり着いた答えは「自分へのエール」だった。
「おれ、がんばれ」
この言葉でいつも、投稿を締め括る。人は感情がある生き物だから、すごくやる気がある時やない時がある。気分の波に向き合いながら生きているのだ。この波とうまく向き合うことこそ、僕が掲げる「人生の大逆転」につながると考えた。ある種の根性論的なことを、少し柔和にしてみようという取り組み。実はこれが、9ヶ月間をものすごく支えた。正直、9ヶ月の間に何度もモチベーションは下がったし、今の仕事へ自信を持てない時期があった。そんな壁を乗り越えることができたのは、このnoteでの発信があったから。自分から自分へエールを送ることで、僕は僕に救われていた。
Instagram、Twitterなどの自己発信ツールを使っている人は多いけど、これはものすごく対外的な干渉を受けると思っている。拡散性が高いことで、いやでも、自分より頑張っている人たち(スキル・発信頻度など)を受動的に目にする。一方で、noteはフォローをしない限り、基本的には能動的に情報(投稿)を目にすることがない。これが良かった。
僕はnoteを始めてから、フォローをしないと決めている。それはnoteの使い方が人と違うから。誰かに発信するために、ではなく、あくまで、自分へ向けてやっている。どんなに興味があっても、知り合いや友人たちのアカウントだとしても、フォローをしていない。唯一するときは、note内での投稿企画で企業などの特定アカウントをどうしてもフォローしないとならないとき。これ以外でフォローは一度もしたことがない。でも、記事は読んでいる。その日、その時に、思いつくまま検索をかけ、そこで気になるタイトルを見つけるとしっかり読む。もちろん、「スキ」もする。「コメント」も時にはする。よく「スキ」をしすぎて、「スキぎれ」することもしばしば。あくまで、受動的に投稿を目にすることをしていない。今後はいつかフォローすることもあるとは思うけど。。。
それくらいnoteを続ける意図を割り切っている。他のSNSよりも拡散生が少なく、相互フォローが基本となるプラットフォームだけど、これが自分の性にはあっている気がしている。案外、それぐらいに割り切れると続けられるもんだなと思う。フォロワーを追わず、自分が思うことを刹那的に純度を高く伝えることが自分なりの使い方。有益情報なんて、基本出さない。でも、その代わり、自分の人生をオープンに。自分自身が一番、自分と向き合いたいから。
だから、やっぱり700人を超えるフォロワーがいてくださることにびっくりする。何度も言うけど、ありがとうございます。コメントもたくさんくれて嬉しいです。そのおかげで、挑戦をし続けられるし、ここでのエールを書き綴れる。ありがとう。
noteを続ける理由を考える必要はない、
noteを続ける意図を考えてみよう。
きっと、そうすれば、前向きなことを考えられるから。
あと一週間で、自分の中でビックチャレンジをやる。
怖いし、できるかわからないし、やり切れるか。
そんな時に、9ヶ月分ある自分へのエールをみよう。
我が物顔で、自分と向き合おう。
たったの1ミリでも成長できていれば、
全てを肯定していい。
おまえは、まだまだ、やれる。
信じ抜け。
おれ、がんばれ。