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百日行願『いのちのおれい』|開教50年祭

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2024年、宗教法人金光教武蔵小杉教会が開教してより50年の節年を迎えます。それを機して、8月3日より『百日行願』を開始しました。その記録です。現教会長である私の歩み、日記です。…
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2024年10月の記事一覧

No.73|百日行願73日目(2024年10月14日)

こんにちは。

百日行願、七十三日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

不遇の人生だったと嘆く60代後半の氏子。

「死にたい」と。

私はどうせ地獄行きでしょう、ろくでもない振る舞いをしてきたのですから。
そう言いながらも、
あともって三年だから、それまではなんとか人様の迷惑に……。

バカか、アホか、そのような気持ちで進言させていただきました。

「三年って誰が決めた?」

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No.36|百日行願36日目(2024年9月7日)

おはようございます。

百日行願、三十六日目。
今日も命を頂きました。

ありがとうございます。

ふと、諦めるという言葉について。

私は、「諦める=明らかにする」と学びました。

たとえば、何かを諦めるとしましょう。資格試験にしましょうか。そういえば、私は「簿記1級」を『諦めた』のですが、勉強している段階で、2級のソレ(難易度)とは明らかに違うと判断して、スパッと諦めました。

悪く取れば、堪

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No.78|百日行願78日目(2024年10月19日)

こんにちは。

百日行願、七十八日目。

今日も命を頂いております。
ありがとうございます。

幼稚園児の三女が友だちのワンちゃんが死んじゃったのを「かわいそうだね~」と言いつつも、「今日も命を頂いてありがたいね」との私の言葉に対して、「明日も生きていられますように」と言っていたので、次のような話をしました。

三女にも「今日も命を頂いた御礼を神様に言おうね」と日々伝えています。分かっているかいな

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No.77|百日行願77日目(2024年10月18日)

おはようございます。

百日行願、七十七日目。
今日も命を頂きました。

ありがとうございます。

ある哲学書(人生の指南書)を読んでいたら私が言っていることとまったく同じことが書かれていました。

そもそも、私も教えられ、教えられたことを口にしているので私の言葉かと言えばよくわからない節もあるのですが、なんだか安心したのが正直な気持ちです。再確認できた感じ。

何が書かれていたのかと言えば、

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No.76|百日行願76日目(2024年10月17日)

こんにちは。

百日行願、七十六日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

ドキッとする言葉が目に飛び込んできた。

私が教祖様を死神にしてる???

毎日、真剣に言葉と向き合って、
ときには柔軟に、
ときには自身の恥部も披瀝して、
なるべく読み手にわかりやすいよう言葉を並べている自負はあったものの、どこにどのような失礼があるやらわからず……

そんな気持ちでこれまでを思い返してい

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No.75|百日行願75日目(2024年10月16日)

こんにちは。

百日行願、七十五日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

頂いてきたおかげを振り返ること
頂いてきたおかげを噛みしめること

とても大事な営みだと思えております。

おかげを振り返らないから深まらない
おかげを噛みしめないから味がしなくなる

そんな気さえしております。

頂いてきたおかげとは、
シンプルに命です。

どんな人生を歩もうが、
どんな苦境に立たされよ

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No.74|百日行願74日目(2024年10月11日)

おはようございます。

百日行願、七十四日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

新たな気づき……

それは、毎日のことだ。

ただ、新しいというよりかは、深く知らしめてくださる(これも神様からのおかげ、神様のおかげ頂かないと思考すら出来ないから)、そんなおかげの世界を毎日、事あるごとに感じています。

そのおかげだって、私自身どこまで分かっているのかわかりません。なぜなら、誰か

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No.72|百日行願72日目(2024年10月13日)

こんにちは。

百日行願、七十二日目。

まずは、昨日の投稿後も無事に命を頂くことができました。
そして今日もなお。有り難いことです。

これ以上のおかげはない。
自分が生きているということ、そのおかげに対する自覚。
このおかげ(わが命)を喜べたら神様はお喜びになる。
そう確信しております。

あたりまえのこと。
人間に助かってほしいと、その想い1つで神様は人間を生かそう生かそうと想って、今日もあ

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No.71|百日行願71日目(2024年10月12日)

おはようございます。

百日行願、七十一日目。

今日も命を頂いております。
生きながらえております。

ありがとうございます。

命を頂いたということ。
どこまで分かっているんでしょうかね。

この事実、このおかげ。
命なくしては何も出来ない、何も思えない、何一つままならないのに、
にもかかわらず不平不満を並べる始末。

はぁ〜。申し訳ございません、しか出てきやしません。

何を勘違いしているの

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No.70|百日行願70日目(2024年10月11日)

おはようございます。

百日行願、七十日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

もう70日。

いや、1日1日を70回も繰り返して……、いやいや、一度死に、新たに命を70回頂き、目覚めさせて頂いた。

言葉遣い1つとってもそう、
誰からも見えない想いもそう(自分も見えていない人がほとんど……私もね)、
どれほどの神様からのご愛情を頂き続けてきたのか。

今年46歳、
生まれてから

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No.69|百日行願69日目(2024年10月10日)

こんにちは。

百日行願、六十九日目。

今日も命を頂いております。
ありがとうございます。

より根源的な視点を。
最近は同じようなことしか想っていないし、
喋ってもいない、そう感じます。

それは何かというと、
命の有り難さ、命の尊さ、命の儚さ、
今日命を頂いているという紛れもない奇跡、
そのようなことです。

よく聞く日常の話です。

その人にとっては居ても立っても居られないほどの悩みなのだ

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No.68|百日行願68日目(2024年10月9日)

こんにちは。

百日行願、六十八日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

【今日はちょっと長いです。2000文字オーバー。】

死を意識するこれは信心を進めさせて頂くうえでの『究極的な課題』であるなぁと思います。

今日も命を頂いたという言葉、その想い。
これ1つとってみても、どれだけ今日命を頂いたことが奇跡的なことなのか、
これが分かっているかどうかにかかっていると思うから。

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No.67|百日行願67日目(2024年10月8日)

こんにちは。

百日行願、六十七日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

先日お話しした、溺れている人は溺れている人を助けられない、に派生して……、次のような人は、どうしたって人を助けられないと思っています。

どういうことか。

勇気の出ない人はそのままで、勇気が出るまで待つしかありません。
一方、助け方を知らない人は致命傷で、
これはもう助け方を学ぶしかありません。
どうやっ

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No.66|百日行願66日目(2024年10月7日)

こんにちは。

百日行願、六十六日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

昨日知人から次のようなことを言われました。

「相手に合わせたら自分が幸せになった」

教祖様の御教にも「たらいの中の水」に例えられた教えがあります。

たらいの中の水をこちらにやろうとしたいなら、たらいを向こうへ押し込むこと。しっかり前に押し込んでやれば、たらいの中の水は必ずこちらへ向かって来るというもの

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