No.36|百日行願36日目(2024年9月7日)
おはようございます。
百日行願、三十六日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
ふと、諦めるという言葉について。
私は、「諦める=明らかにする」と学びました。
たとえば、何かを諦めるとしましょう。資格試験にしましょうか。そういえば、私は「簿記1級」を『諦めた』のですが、勉強している段階で、2級のソレ(難易度)とは明らかに違うと判断して、スパッと諦めました。
悪く取れば、堪え性がないとも取れます。
でも、明らかにすると取れば、それを諦めて(明らかにして)『次に進める』とも取れます。現に私は簿記1級の取得を諦めて、他にやるべきことを見つけました。
じゃあ反対に、諦めたのに次に進めない人が世の中にはたくさんいらっしゃいます。その人たちはどうしたらいいか、そちらの話を。
私が思うに、そういう人たちは「明らかにできていない」だけではないかと。だから、表面上は諦めた風に生活しているけれど、諦めきれていないだけではないかと、そのように思っています。
じゃあどうするか。これも私見ですが、明らかにしなければ良いのではないでしょうか。「ん?」と思った人、今しばらくお付き合いください。
明らかにせず、諦めない。往生際が悪いと言われようが、自分の中で明らかになるまではしがみつけば良いのだと。それがあなたの人生ですから。
そしてしがみつく場合の注意点も併せてお伝えします。
注意点とは、外野の声です。
「もう諦めなよ……」
この声に反応して諦めた風を装うのが一番悪手かと。
やらせればいい、とことん、本人の気が済むまで。本人が明らかにするまで。
ただ、本人と外野の関係が親子の関係で、経済的な問題が孕んでいるのだとしたら、それは親目線で「これ以上はムリ」とハッキリ伝えたら良いだけでは、そう思っています。
「もう諦めなよ……」ではなくてね。
「もう諦めなよ……」絶対に言わないでください。本人が明らかにする前に(マジで)。
言うなら「もうお金がないからこれ以上の援助は無理。あとは自分で好きにしてちょうだい」こちらでお願いします。
こんなことをツラツラと思いながら、金光教のお取次を思うと、取次者ってマジで諦めないよなぁと強く思います。
私の例ですと、私は私の人生を(本人が)半ば諦めていたのに(人間関係の問題はどんなことがあっても絶対に解決しない、私が死ぬか相手が死ぬかしない限り……と強く諦めていたのに)、私の話を聴いてくれていた取次者(とりつぎしゃ:金光教の先生=私のお役でもあります)はとことん諦めなかった、明らかにしなかった。私をその時点で判断しなかった。諦めなよ……なんてただの一度も言われなかった。
だから、信心が続いたんだし、今、人間関係も好転して、毎日がありがたいなぁと生きられているのかなぁと。
お取次、すごくないですか(マジで)。
人生、諦めちゃっている人、
もしくは、諦めたと思っているけど諦めきれずに悶々と生活している人は、
ぜひ教会までお越しください。できれば、おはやめに。(私が生きている保証もないので……)
もれなくそこには、あなたを明らかにしない(=諦めない)私が居りますよ^^
追伸:私以上に私の人生を諦めなかった人に出逢えたことが、私にとってこれ以上ない財産だと思っています(マジで)。
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