No.72|百日行願72日目(2024年10月13日)

こんにちは。

百日行願、七十二日目。

まずは、昨日の投稿後も無事に命を頂くことができました。
そして今日もなお。有り難いことです。

これ以上のおかげはない。
自分が生きているということ、そのおかげに対する自覚。
このおかげ(わが命)を喜べたら神様はお喜びになる。
そう確信しております。

あたりまえのこと。
人間に助かってほしいと、その想い1つで神様は人間を生かそう生かそうと想って、今日もあなたに、私に命を授けたわけですから。

なのに……ね。

そのおかげを喜びもせずに、いや、せずにじゃなく出来ずに、喜べずに、やれココが痛い、やれアレが心配だと思い続けているのが我々人間なのですからね。

①命を頂いた
②命を頂いたあと感じる悩みや苦しみや喜び

ものごとの順序

この順序はあたり前のことです。

靴下を履いてから靴を履くのと同じ。
靴下を履くことへ意識を向けて
そのあと靴を履くことへ意識を向ける。
おんなじです。

でも喜ばない、喜べない。
なぜ喜べないって言い切れるのか。
悩んでいるからです。

ありがたいなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、はぁ~

と全身全霊で命を喜べたら、その状態の人が悩みますかね、悩めますかね。ぜひ想像してみてほしいです。

私は、ぜっっっっっっったいに悩めないと思っている派です。

でも私も……悩みます。

イコール、命を心の奥底から喜べていないのでしょう(反省しつつも、先を楽しみに待ちたいと思います。自身の成長を)

どうぞ、今日の投稿を読んだあと、ご自身の胸に手をあてて考えてみられてくださいな。ジンワリと、頂いた命を喜ぶことが出来たなら、それはもう安泰です。おかげを頂き尽くせることでしょう。

いかがでしょうか。

追伸:成長できるっていうのもありがたい考え方だと思います。「お育ていただく」と教えられてもいます。

現状が出来ないからと言って過度に嘆き苦しむ必要はありません。もちろん多少の反省は成長の糧になるとは思いますが「ダメだな~私」なんて思い込む必要もありません。お育てを願えば良いだけですから。

今日より明日、明日よりその次の日へと。共々にお育て頂いてまいりたいものですね。一緒に信心されてみては?

Let's信心!いざおかげの世界へと!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?