No.70|百日行願70日目(2024年10月11日)

おはようございます。

百日行願、七十日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

もう70日。

いや、1日1日を70回も繰り返して……、いやいや、一度死に、新たに命を70回頂き、目覚めさせて頂いた。

言葉遣い1つとってもそう、
誰からも見えない想いもそう(自分も見えていない人がほとんど……私もね)、
どれほどの神様からのご愛情を頂き続けてきたのか。

今年46歳、
生まれてからは16,789回
16,789回……

無い命を、本来であれば無かった命を(6歳の交通事故で亡くなっていればその後の40年間は無かった……、学生でのギャンブル&借金時代、社会人での出社拒否、ほかにも……)……

自分の言動で無くなっていたかもしれない命と、

一方で、

それでもなお、紡ごう紡ごう、「助かってくれよ」との地面の奥深くからウワァ~と湧いてくるような「うねり」(神様のご意思)を私は今日も感じています。これは私が信心の道に入ってから、よく感じることです。

食物(人を良くする物)は地から生える。
人間は、亡くなれば土に還る。
大地から栄養を補給して、
大地へ放電して(アース)、
大地に這う水が雲を作り雨を降らし、
その地と空の間に私たち人間に欠かせない空気が充満している。
このおかげの世界……

どこまでも、生きているんじゃない、
生かされて生きている
そんな今日、令和6年10月11日。

呼吸をさせて頂いているんだと
どこまで私が思えているのか
あなたが思えているのかという、そんなお話です。

そのように思えていれば……
それはもうおかげです。

何も要らないでしょう。
何を成す必要もないでしょう。

できることを出来ないながらに、できる限りでさせて頂いたら良い。
それで良い。
それだけでいい。
それはできる。
それができる。
それはもう、有り難い限りです。

以上です。ありがとうございました~。

追伸:今日はやや抽象的な表現になってしまいましたが、秋晴れの爽やかな空を見上げながら「ありがたいなぁ~」という言葉がわが体内から漏れ出た感動のままに書き殴りました。

あたりまえじゃない、あたりまえじゃない。これからも言い続け、伝え続けてまいります。神様~、ありがとうございます~。ご信心、いかがですかぁ~(^o^)
【※ご信心=心を神に向ける→心が神へと向かう】

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