No.66|百日行願66日目(2024年10月7日)
こんにちは。
百日行願、六十六日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
昨日知人から次のようなことを言われました。
「相手に合わせたら自分が幸せになった」
教祖様の御教にも「たらいの中の水」に例えられた教えがあります。
たらいの中の水をこちらにやろうとしたいなら、たらいを向こうへ押し込むこと。しっかり前に押し込んでやれば、たらいの中の水は必ずこちらへ向かって来るというもの。
相手に合わせる。
自分に合わせない。
ここで間違ってはいけないことは、
自分発信でなければいけないということ。どういうことか。
相手が望んでいるからと言って、自分を「犠牲にしてまで」相手に合わせる必要はないということ。むしろ、それはただの自爆。やらない方が良い。良い人だけでは、おかげは頂けません。
あくまでも、自分としてのおかげは受けつつ、相手に合わせていく。
イメージとしては、溺れているものが溺れているものを助けられないように、まずは自分が陸に上がってから溺れている人へ手を差し伸べる、そんなイメージ。
ですが、段階としては溺れている段階なのに……と思うようなときもあるかもしれません。他者から見たらもう十分に陸に上がっているのに「陸に上がっているとは思えない」と本人が思っていたら、それはそれで仕方がありません。
ここで、私が毎日のように言っている「命の御礼」などは、まさに自分が陸に上がるために適した考え方(お稽古の材料)と言えるでしょう。
これに勝るもの、ありません。
今日も命を頂いた。
その事実に「しっかりと」御礼を申し上げるのです。
誰に?
命の授け元である神様へ。
言葉だけじゃなく、想いだけでもなく、
行動が伴ってこそ神様に伝わるというもの。
そのための参拝
そのためにご祈念
そのためのお供えです。
そうして自分が「陸に上がっている状態だと思えたら」、あとは……人に合わせていけばいいのだと。そうすれば、たらいの中の水のように、あなたの方へと水(喜びとか有り難いと思えるようなおかげ)はわんさか注がれ続ける、そんな道理ですね。
いかがでしょうか。
追伸:抱え込んだらダメですよ。抱え込みやすい私だからこそ、気をつけなきゃいけないなと常々思いながら生きています。今日の投稿は思いっきり、そんな自分に向けて書きました^^互いに無理せず、おかげを頂き続けてまいりましょう!
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