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#50. べポラップと母に支えられた夜
私は、ベポラップが好きだ。
この言葉を聞いて「どうして急に?」と不思議に思うかもしれないが、私の頭には懐かしい思い出が蘇る。
小学生の頃、私は小児喘息を患っていた。
季節の変わり目や少しの埃でも、体はすぐ反応してしまう。
掃除のあと、空気中に舞う埃がほんのわずかでもあると、咳が出始め、胸がゼコゼコ、ヒューヒューと音を立てる。
ヒューヒューという音は、どこか心細く、聞くたびに呼吸が浅くなる自分がいた。
そんな夜、母は決まって「はい、ベポラップ。」と、どこからともなくベポラップを取り出してくる。
手に持っているのはグリーンの蓋が付いたチューブ型の容器。
柔らかなパステルグリーンのその色は、小さい頃から私の心をほっとさせてくれる色だった。
気持ちが落ち着くと同時に、苦しさが少しずつ遠ざかっていくような気がして、私はその色に安心感を覚えた。
母は、胸や首筋、鼻の周りにそっとベポラップを塗り始める。
少しずつ広がる清涼感が体にスーッと染み込んで、呼吸が楽になっていく。
気管の奥まで届くようなその香りに、私はほっとして目を閉じた。
実は、メンソレータムやキシリトール、ミントなど、私は清涼感のあるものがあまり得意ではなかった。
それでも、ベポラップだけはなぜか特別だった。好きとか嫌いを超えて、味方になってくれているように感じたのだ。
母は、いつも多めにベポラップを塗ってくれた。
今思えば、もしかすると、その優しさが効果を一層引き立てていたのかもしれない。
百均で買った小さな救急箱に入れられていたそのベポラップを、母はまるで魔法の薬のように取り出して、私に手当てをしてくれた。
しばらくすると、その救急箱を見ただけで気が楽になる自分がいた。そこに込められた母の温かさを感じていたのだろう。
成長した今、喘息は小児喘息から気管支喘息へと変わり、ごくたまに症状が出る程度に落ち着いた。
夜の発作に苦しむことも少なくなり、ぐっすり眠れる日が増えた。
それでも、発作に悩まされた夜には思い出す光景がある。
家族が眠りについている深夜、息苦しさに目が覚めた私は、家事を終えて遅くまで次の日の朝ごはんを支度している母の背中を、ぼんやりと見つめていた。
その背中越しを見ながら、ふと香るベポラップのミントの香りが、ふっと鼻をかすめるたび、私はどこか安心した。
あの頃、母が手を止めて私の胸にそっと塗ってくれた優しさが、息苦しい夜をそっと、軽くしてくれていたのだ。
今では、ベポラップの香りを嗅ぐとあの温かな夜がよみがえり、母のぬくもりに包まれていた小さな自分に戻る気がする。
ベポラップは、ただの薬ではなく、私にとって母と一緒に過ごしたかけがえのない記憶そのものだった。