
#48. 母が握ったおにぎりが食べたい
「もし、明日世界が終わるとしたら、最後に何が食べたい?」と、
私の大好きな著者の方の本に書いてあった。
その問いに対する答えを書き込む場所に、
「母の握った塩むすびが食べたい。」とすかさず書き込んだ。
寂しくなった時や元気がない日にふと食べたくなるのも、
決まって母が握った塩おにぎりだ。
コンビニで買う「塩むすび」も美味しいのだけど、
やっぱり母の手作りにはかなわない。
絶妙な塩加減とか、握り具合とか、そういうものをはるかに超越した何かが、美味しさを作っているような気がする。
それは、私を思ってくれる温かい気持ちや深い愛情のような、そんなものだと思う。
高校生の時、バイト前に必ず塩むすびを握ってくれた。
というより、私がお願いしていたのもある。
めちゃくちゃ疲れてバイトに行くのが億劫に感じた時も、
おにぎりを食べたらなんだか安心してパワーが湧いてくる、みたいな、
そんな不思議な力が込められている。
ジャムおじさんがいつも、
アンパンマンに新しい顔を与えるように、
私に生きるパワーを与えてくれてたのは紛れもなく、母だった。
ある時、母に「なんでママが作ったおにぎりってこんなに美味しいの??」と聞いた時があった。
その時に母は、
「ただ握ってるだけだよ。毎回塩むすびって、あなたは本当にお米が大好きなのね。」
と笑っていた。
確かに私はお米が好きだ。
でもおそらく…
そうじゃない。
おにぎりにして持たせてくれる母の愛情とか、優しさとか、温もりとか、
そういうものを無意識のうちにおにぎりを通して感じているからだと思った。
食べ物に感謝するのと同時に、食事を作ってくれる人に感謝したり、愛情を感じたりするのと一緒で。
母の作ったおにぎりが世界でいちばん美味しいし、愛を感じて元気が出る。
もし明日世界が終わるとして、
私はやっぱり母の作った、
愛情たっぷりの塩むすびが食べたい。
あんまり暗いことは考えたくないけど、
母が元気なうちに、何度も顔を合わせたいし、
塩むすびも食べたいし、何度もくだらないことを話したい。
病気がちで体が強いとは絶対に言えない母。
心配ばかりしていたら、その心配が届いてしまって、本当にその通りになってしまうんじゃないかって怖いから、いつもは意識して考えないようにしてるけど。
でも、会えるうちに沢山会っておこう。
笑い転げて咳が止まらなくなる母の姿や、カラオケでウルトラマンの歌を熱唱する母、私が帰ると必ず何かサプライズを仕掛けてくれる母や、家族愛のドラマですぐに泣いてしまう母。
そんな愛おしい日常の母の姿を、これからもたくさん見ていたいなと思う。
母の塩むすびは、愛と記憶がぎゅっと詰まった、私にとって特別な存在。
そんなことを思っていたら、
また塩むすびが食べたくなって、
母に会いたくなった。