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#55. 完璧じゃなくて良かった
完璧主義が運んでくるアンラッキー
完璧主義。それは時として、前に進む勇気や柔軟性を奪い、自分の生き方を縛りつけてしまうものだ。
かつては私も「完璧にやりたい」「失敗したくない」と思い続け、細部まで入念に準備をし、何度も確認を重ねて少しでもリスクを排除しようと努めてきた。
周りから「さすがだね」「本当によく頑張ってるね」と言われ、期待をしてもらえることに心地よさを感じていた。
だけれどその反面、どこか息苦しさもつきまとっていたように思う。
ある日、仕事で重要なプレゼンがあった。
その時も、細部まで完璧に仕上げることに集中するあまり、本来の目的である「相手に伝わるプレゼン」を見失ってしまった。
資料を完璧に作り込み、リハーサルを繰り返し、準備にほぼ全てのエネルギーを注ぎ込んで臨んだが、なぜか相手の反応は期待したものとは違った。
プレゼンは形式的には成功したけれど、心の中で何かが欠けているような気がした。
今思えば、完璧主義が大切なものを曇らせていたのだ。
そうしてふと、「完璧であろうとする姿勢」が他人にどう映っているのかが気になり始めた。
なんにも完璧じゃないのに、一生懸命「完璧」で見せようと必死で取り繕う自分を、
客観的に見ることができていなかった。
「完璧」でいる自分は本当に信頼されているのだろうか?
そんな疑問がふと浮かんできた。
コーチングで知ったリアル
コーチングを仕事にしつつ感じたのは、完璧でない自分がいるからこそ、
他人の苦しみや失敗に共感できるということだった。
過去の苦い思い出や、辛かった経験はできる事なら隠し通したかったし、
わざわざ過去のしんどかった時期を思い出すのはやはり辛いものがある。
だけど、そこに自分自身がちゃんと向き合うことで、人との向き合い方が大きく変わった気がするのだ。
むしろ、完璧を取り繕うほど、悩みや葛藤に寄り添うのが難しくなる。
行動できない人や失敗を恐れて動けなくなっている人を責めてしまいそうになる時も始めのうちは往々にしてあった。
けれど、失敗の経験や弱さを見せることができた時に、はじめて相手が心を開き、素直に自分をさらけ出してくれたのだ。
輝くあの人も、きっと、普通にしんどい
SNS上で目にする成功者たちの言葉に時折「なぜあなたは努力しないの?」といった怒りや苛立ちが感じられることがある。
それは彼らが自分の成果を守りたいという気持ちの表れなのかもしれないし、あるいは努力を認めてもらいたいという願いの裏返しなのかもしれない。
成功していたり、上手くいっていたりする人も、
どこかで「もっと認められたい」と強く願う。
そうしてふとした瞬間の表情に全てが現れ、オーラに出てしまっているような気がする。
自分も周りもハッピーにするために
人に認められるよりも、まずは自分で自分を認めてあげたいし、
褒められたいと思う前に、自分で褒めて満たしてあげたいとも思う。
そうして、その上でちゃっかり周りまでハッピーにしたい。
人に魅せる、無理した幸せは要らない。
だからこそ、自分が本心から幸せを感じられていなければ、
相手に幸せを届けることはできないと痛感した。
「完璧」でいることよりも、心からの幸せやホッとする瞬間を心の内側に持つこと。
それこそが、自然と他人に伝わり、周りをも幸せにする力になるのだと思う。
まずは、自分にとっての『幸せ』は何かを知る。
次に、優先して自分にとっての『幸せな時間』をつくる。
そうやって、まずは自分を満たすことが何よりも大切だ。
そして、その内側から湧き出る幸せが、家族や友人、周囲の人たちに伝わり、幸せの連鎖を生むような存在でありたいと願う。
完璧主義を手放し、
自らの幸せを基盤に生きること。
私がこれから先も、
ずっと大切にしていきたいこと。
未来の私と、周りの大切な人たちのために。