#52. 与えられた環境で、どう生きるのか
ー幼いころー
幼い頃、私は5人家族(兄弟3人)で
住んでいたアパートは5畳の部屋だった。
その部屋をどう上手く使うか。私たちは幼い頃から必死で考え抜いた。
今ある環境をどう生かすか、ということに。
ー私たちの「自分の部屋」ー
三人兄弟で試行錯誤した末、考え抜いて出したアイデアは、近所のスーパーからもらってきたダンボールで部屋を作ること。
今になって思うと笑ってしまうけど、
当時の私たち兄弟にとってみたら、
自分の部屋=憧れの夢
みたいで、ひたすらキラキラして見えた。
だからこそ、何としてでも作り上げたい私たちの「自分の部屋」。
ダンボールでひたすら囲いを作って、3日がかりで部屋を完成させた。が、
久々に会いに来たじいちゃんが部屋をなんの躊躇もなく押し入り、
一瞬にしてお部屋崩壊。
じいちゃん。ひどい…と悲しくなる私を横目に、私の兄がめちゃクソにキレていたことを思い出して笑いそうになる。
そして、次に挑戦したのは、
押入れに隠し部屋を作るということ。
「押し入れはネズミが出るから近寄らんな。」という極度のネズミ嫌いの母からの教えを破り、
必死で押し入れ掃除を始める。
押し入れの天井部分には、家に置いてあって使っていなかった電球を紐でぶら下げ、座布団とダンボールでテーブルを作り設置。
そして、部屋には2人のお小遣いで買ってきた駄菓子コーナーを作った。
そうして、やっとの思いで完成したのは、
「エモい」押し入れ部屋。(たぶん)
学校から帰ってすぐに、ダッシュして家に帰り、ランドセルを放り投げて押し入れに駆け込み、やってやったぜ、と優越感に浸る。
「私…部屋がある…ウレシイ。。」
押し入れの暗闇の中でぼんやりと光る電球を眺めながら幸せを感じていた気持ちがふと蘇ってきた。
ー夏休みの幸せー
毎年、夏休みに入ると、
旅行に行きたい!!という気持ちを家に居ても感じられるように、
部屋ごと大改造したり、「ホテルごっこ」と題して三人兄弟でちまちまとお部屋をきれいにする遊びをしていた。
綺麗にした後に、一つの布団をバーっと敷いて、3人で並んで布団に入ると、
本当にホテルに泊まっているかの如く、「幸せ〜!!」とキャッキャしていた。
お金がなかったことで、自分はみんなとは違う。と悲しくなったり、
周りの子達と自分を比べて劣等感を感じたりする時ももちろんあった。
だけど実際は、
この貧しい暮らしがあったからこそ、
ちょっとした幸せに気付けたり、
色んな事がキラキラして見えたり。
むしろ、辛かった過去が全て、
今はプラスに働いている。
ー苦楽力ー
だからこそ、辛いことを楽しむ事に関しては、自信がある。
そのせいで、時として辛い状況に陥っても限りなく自分を追い込んでしまって、いきなり体力の限界がきたりもするけど。
でも、頑張れることとか、人に期待されることとかもすべて、私にとってみたら嬉しいことで、幸せなことだなぁと思う。
ひたすら色んなものに感動して、ワクワクしながら、どんな場面であっても幸せを感じられていた子供時代が、ふと懐かしく思う事がある。
ー与えられた環境でどう生きるかー
子供の頃は、どうやっても「ダンボールで部屋を作る」ぐらいしか環境に抗う方法はなかった。
でも今は違う。
大人になった今、自分の生き方を自分で決めることができる。
どれくらいお金が欲しいか、どんな家に住みたいか、どんな仕事をしたいか。そんな夢や希望を持てるのは、今の自分だからこそだ。
ー本当に大切にしたいことー
だけど、最近思うのは、環境や地位や名声が人を幸せにするという考えに、どこか違和感を感じる自分がいること。
もちろん、それらも大切かもしれない。
けれど本当に大切なのは、「今いる場所」でどう生きるかを見つめ、
そこに感謝できることなんじゃないか、と気づき始めた。
私たちは、もっと大きなものや理想を追いかけることが幸せへの道だと信じがちだ。お金を得たり、自由を得たり、人に認められることが、
きっと自分を満たしてくれるのだろう、と。
けれど、どこかで、その追い求める過程の中で失われていくものがある。
今いる環境、そばにいる人々。
その一つ一つに感謝することができたら、
もしかしたら心はもっと軽く、そして自由になれるのかもしれない。
与えられた環境を最大限に楽しみ、自分なりの幸せを見つけることができたら、人生はもっと温かく、輝いて見えるだろう。
そう思えるのは、あの段ボールの部屋や押し入れの部屋、ホテルごっこがあったから。
あの頃私が見ていた世界が教えてくれた「ささやかな幸せ」の大切さを、
私はこれからも忘れずに生きていきたい。