『詩』不安という名の
昨日の僕は 都会の大きな噴水の横を
空っぽのリュックを抱えて歩いている
噴水は時間と双子なので 春のコートを着て
昨日も噴き上げ続けている
一週間前の僕は傘をさして
古い桟橋の先に立っている ほんの少し
僕はメアリー・ポピンズに似ている
空は曇っているけれど
雨は降ってなくて構わない
半年前の僕は頭を垂れて
睡魔に喧嘩を売っている ごく小さな
田舎町の図書館で 生きかたのマニュアルは
色彩学の本には載っていない そこで
二十七インチのディスプレイに 一年前の僕は
無数の直線を引いている 縦横に
僕が笑っている理由も
僕が泣いている理由もみんな
ディスプレイの画面のせいだ 縦横に
ランダムに線の走っている けれど
五年前 僕はどこかにいただろうか 十年前
僕はどこにもいなかっただろうか?
そんなことのために 小学校の
僕は計算ドリルを開く そのやり残しの
二つ目のかっこに明日の夜の 月影が
妙に白っぽく映っている
遠い日の女の人の白粉に似た
いつも僕の手が冷たいのは きっと
そんなドリルのページのせいだ でも僕のなかに
強迫観念があるというので 計算ドリルを
僕は閉じることができない
そんなだけれど
明日はきっと来るのだろう
明後日もきっと来るのだろう
来年も 三年先も 五年先も 昨日の噴水と
同じ春のコートを羽織って よそよそしげに
きっとやってくるのだろう そんなだけれど
僕は僕のままだろうか 五年先も
月影が邪魔をして 計算ドリルは
何も答えが書けないまま ぼろぼろと
崩れていってしまっただろうか?
僕が探すべき生きかたは
田舎の小さな図書館にないと
きっと気づいてしまっただろう 傘をさしても
メアリー・ポピンズにはなれないし
春のコートを羽織ったまま 噴水は
噴き上げ続けているだろう だってそれは
時間と双子なのだから ところでひとつ僕はきみに
教えてもらいたいことがある
今これを読んでいるきみに
僕は今日
いったいどこにいるのだろうか?
前のエッセイ、その前の詩に、思わぬスキをいただいています。ありがとうございます!
今回はひとつ実験的に、と言うか、表現方法としての模索。まだ中途半端だけれど。例えば、
・タイトルと本文との距離感
・過去の時間と現在進行形の混同、あるいは未来との関係性
・代名詞、形容動詞が繋いでいるようで繋いでいないこと
・リアルなようで具体的には見えないもの
それらをリアルな情景と組み合わせることによってある雰囲気をイメージする。理解するより感じていただくことを目的として。これをもっと追求していけば、新たな形ができそうな気がしています。
今回もお読みいただきありがとうございます。
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