2021年4月の記事一覧
ジョン.C.リリーという贔屓のイルカの博士がいる。ドラッグの助けを得ながら、彼はもっともらしい論文をいくつか発表しているが、最も重要なことは秘したと云われてきた。そのひとつにイルカのたったひと鳴きにおそろしいほどの情報量が組み込まれているというのがある。本来、字も一字でよいのだ。
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日本に華道ができたのは「花も我が身もともに儚し」という内觀があったからだが、私は櫻よりも水木の花に儚さをまいとし感じる。櫻の散りは儚さの代表だけれども、それ故にどこか衒いが生じてしまうのだろう。対照的に、水木には散りをどこか秘した儚さがある。兎にも角にも、花は儚く散るから美しい。
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なみだ巻という觀光用の巻物がある。なみだとは山葵の隠語で、つまりは山葵しか入っていない巻物のことである。涙を流させようと一所懸命山葵を擦る鮨屋があるが、本来は觀光用といえども山葵は切って巻かれるものになる。過日、沼津港の古川でなみだ巻を家人と食したが、こちらはたしかな涙であった。
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勤めを終えた眼下の駅を眺めていると、改めて駅の静かさのよさを感じる。あくる朝になれば都会の喧騒が再びやってくるのだろうが、それまで静寂は踊り狂うのか。兎角、静かだ。品川もつまらぬ開発に堕してしまったものの、ふと昔を思い起こさせる深夜には、たしかに品というべき大河が流れてはいる。
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私は櫻よりも椿の散りが好みだ。よく武士道で云われてきたような花ごとおちる潔よさに惹かれているのではなく、その後のうつ伏せぶりにそこはかとなきよさがある。うつ伏せは概して顔を左に向ける等、呼吸の確保に走るところがあるが、こと椿においては、花の正面を土にぶつけて睡る始末。至極よい。
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