屍
虚無ってる度合いが強めのやつです。
小説の読書感想文です。
雨が降ればいいのに。大雨が。人を寄せ付けぬ大雨が。 雨が降れば有象無象も消えてくれるだろう。騒音と目障りな笑顔を浮かべる影がすべて黒く塗りつぶされるだろう。 黒いアスファルトの上に雨水だけが打たれ、溜まり、流れ続ける。その光景だけで十分だ。他は何もいらない。 下を向いて視界を制限する。無駄な音は雨音が隠してくれる。守ってくれる。 人の幸福なんて、自分が辛いときや疲れているときには毒薬だ。感じるだけで吐き気がする。それを向けられることなんて想像もしたくない。 思わず何
嫌いだ。 自分の無能さを恥じているくせにそれを公開する者 自分の選択を後悔する者 自分の喜ぶ様をひけらかす者 自分の無能な面を知らない者 当事者でないくせに勝手に思いを推測してそれを押し付ける者 迷惑をかけている自覚がありながらそれに甘え続ける者 助けを求める声を無視し続ける者 感謝を口にしながらも結局は面倒を押し付け続ける者 自分のことにしか興味がない者 憎しみを知らない者 悲しみを知らない者 想像力の足りない者 後ろ盾のある者 全部嫌いだ。嫌い
心震わす音が恋しい。 何もかもどうでもよくなるような、そこにいることがただ一つのことしか意味しないような、そんな瞬間を求めている。 走り続けることは拷問だ。全てを壊していく。そんなときに、一滴の音があれば、まだましだ。 一滴の中に、世界を閉じ込め、それを心臓に、脳に届ける。包みこまれ、安らぎを得る。癒しを得る。真心こもった平穏を、感動を。 夜闇に優しく奏でられ、落ち着かない、荒立った心を慰めてくれるような音よ。伸ばした手では捕まえられない音よ。 どうか私を癒しておく
落ち着いている。落ち着いているが、しっとりとした虚無感が支配している。 寝不足のせいだろう。睡眠が足りない。あとは何にも追われることのない平穏な日々。 脳が強制シャットダウンないし稼働力域の縮小を行う。酷使するなということだろう。もともと常に無理をしているような身体なのだ。臓器もかわいそうだ。 落ち着くときは、水の中に身体が沈んでいくイメージだ。 仰向けで、一定の速度で沈んでいく。水面の光が遠ざかり、辺りはどんどん暗くなる、水がやや重くなるが、不快じゃない。自然の摂理
休養が足りない。足りない。全く、足りない。 限界というのはよくわからないが、あるラインを超えると身体から生気が抜けていく感覚がある。 何もする気が起きない。寝る気すら起きない。ただ、頭の重さだけを感じる。 言葉すらも湧きにくい。沈殿している。それをスコップで掘り返して怨嗟をぶつける気力もない。理不尽がただ通り過ぎていく。 明日の朝は起きないといけない。今から寝れば6時間くらいは寝られる。足りないが、まだマシな方だ。 だが起きる理由を見つけられない。なぜ目覚ましを鳴らさな
人間なんて害虫以下の存在、さっさと滅びればいいのに。害虫という言葉も人間基準だから比較の対象にするのも失礼か。絶対的価値においてクズなんだから早く滅びればいいのに。 いい人もいるなんて反論は今はどうでもいい。ゴミ、クズその他の価値を感じられないものしか視界に映らないんだから仕方ない。見ないようにしているのに、この有機物どもだけ視界に入ってくる、という方が正しいか。 プレス機で何かを潰す動画があるだろう。有機物を固定し、あれで上からゆっくり押していきながら色々きしんでいく音
鬱屈した思いを発散させる方法は人によるだろうが、[一人称単数]の場合は、書くことだ。1年と少しで駄文を100個以上書いてることからも推し量られるだろう。 書いているうちに何かを出した気になるのだ。 たちが悪いのは、思いが輪郭を持っていないときだ。分厚い金属板が永遠の長さを持って心の底に沈んでいる感じだ。 そんなときには思いを拾い上げにくい。徐々に浸食されるのを待つか、その低層を意識から除外するかしかない。無理矢理拾い上げて発散しようとすると、こんな駄文を書くことになる。
線は点の集合だそうだ。ならそれを応用すれば、面も点の集合だ。立体になるとよくわからないが、点の集合ということにしよう。 ならば人も点の集合だといえる。点の集合が動いている。点が動いているといった方が正確かもしれない。動いてるのは集合じゃなく、点だ。脳が送る電気信号も点だ。すべてが点に帰責される。 点が悪い。すべて点の動きだ。今ぐちゃぐちゃ渦巻いている考えも、最底辺のテンションも、すべて点だ。点に過ぎない。 燃料がなくなると動かなくなる。要は頑張りすぎると反動で動けなくな
この気持ちを知っている。フラッシュバックに近いものだ。 封じ込めた気持ちを誰かに言われてしまう。それで思い出してしまう。蓋をした気持ちを。 自分で思ってしまったことを、必死に思っていないと言い聞かせた、あのときの気持ちだ。 それでも抑えきれなくなって、怨嗟として吐き出し、整理したはずの気持ちだ。 指は常にトリガーにかかっている。何かきっかけがあれば引いてしまう。 パンッ。 その音で膨大な記憶や気持ちが溢れ出す。気持ち悪い気持ち悪い。目からも何かが出そうになる。
勧められたので読んだ。 読んだ、と言えるほど読めた気はしていない。古い訳で文章がややかたいのと、経験不足ゆえに情景が浮かべにくいのとが影響していると、その他諸々のことが影響していると思う。 目を通した、という方が正確な表現だろう。 言い訳はこのくらいにしよう。 本の裏表紙にある紹介でオチが書かれているという城之内くん(「遊戯王 城之内死す」で検索してもらいたい)もびっくりの本だが、古典だから仕方あるまい。 結論を知った上でも楽しめたので、以下では一応結論を明示しない
失踪しようか。そんな風に思うこの頃だ。 今いる場所から離れて、どこか遠いところへ。そこでまた新しい生活を送るのだ。 宿と仕事を探さないといけない。 農業とか、土建屋の手伝いとかして食い扶持を稼ぎながら、どこかに居候させてもらうのがいいか。どこにでも優しい人はいるはずだ。 落ち着いたら、住民票などを移せばよい。 ただ、捜索願が出されてしまうと、住民票で居場所がバレてしまうかもしれない。工夫しなければ。 でも多分無駄だ。失踪したところで、無為な生活は変わらない。どうし
本当の自分が分からないなんて、思春期の少年少女が悩むものだ。青年が悩むものではない。 場面場面での自分の総体が自分で、場面場面での個別的な自分もまた自分なのだ。 そこまではいい。 問題は、自分を定めるものは何かということだ。輪郭は何となくわかる。帰納的に考えればいい。 だが、演繹的に考えるための軸がわからない。夢や希望、信念、大義がないと言い換えてもいい。 何のために生まれて何のために生きるのか、それがわからないのだ。顔がアンパンの化け物にさえわかるのに。いや、化け
他責をするやつは嫌いだ。そう言いながら他責をすることもある。しかしそんな自分を嫌いとはいえない。仕方ないことなのだ。 自分に甘いと言われそうだが、普段そう言われることはないので、変な気がしないでもない。しかし文章で表現すると自分に甘いやつになる。 いっそのこと他責を認めるのも一つかもしれない。一般的に。 でもそうはしたくない。自分のミスを人に押しつけるようなやつは好きにはなれない。言葉を選ばなければ、そいつはただのクズだ。関わり合いになりたくない。 ただ、自分以外の者の
死ねと願うことの何が悪いのだろうか。 誰も悪いと言ってきているわけじゃない。ただ自分の中の倫理規範が立ちはだかっているだけだ。何かが悪い気がするのだ。 悪い気はするが、しかし願わずにはいられない。精神が未熟なのだろうか。自分から見て害が益を上回っている場合、死んでほしいと願ってしまう。 害をなくすのに一番わかりやすいものだからだ。 お願いだから、迷惑をかけないでくれ。 お前も迷惑をかけているのだからお互い様だ。図々しい。我慢しろ。 そんな説教が毎回湧き出てくるが、何
お土産に芋焼酎を買ったんだ。自分用に、誰かと飲んでもいいなと思って。 新幹線で地元に着くまでは無事だったんだ。そこの乗り換えで、うじゃうじゃとゴミのようにいるホモ・サピエンスの群れに気を遣い、リュックを前にしようと色々しているうちに、袋を落としてしまった。 そこそこ大きい音がしたけど、箱入りだし、耐えてると思ってた。 なのに!なのにだ!! あぁ、その後しばらくして、袋の中から芋の甘い香りがするじゃないか。何ていい匂いだ。まだあの匂いが鼻から離れない。ふわりと広がる甘い
書きたい気持ちだけ先行する。何か書きたいことがあるわけではないのに。 いや、性的な趣味とかなら書いてもいいかとは思うが、書いたらおそらく大事な何かを失って、代わりに蔑んだ目と近寄るなオーラを向けられる義務をプレゼントされる気がするので、それを書くのは遠慮したい。 有料ならいいかとも考えたが、誰にも読まれない文章を書くのはそれはそれで寂しい気がする。しかも、どうせ誰にも読まれないからと振り切ってひゃっほーすると、読まれてたときに地獄を見る。やはり遠慮しておこう。 何の話か。