書く

書きたい気持ちだけ先行する。何か書きたいことがあるわけではないのに。

いや、性的な趣味とかなら書いてもいいかとは思うが、書いたらおそらく大事な何かを失って、代わりに蔑んだ目と近寄るなオーラを向けられる義務をプレゼントされる気がするので、それを書くのは遠慮したい。
有料ならいいかとも考えたが、誰にも読まれない文章を書くのはそれはそれで寂しい気がする。しかも、どうせ誰にも読まれないからと振り切ってひゃっほーすると、読まれてたときに地獄を見る。やはり遠慮しておこう。

何の話か。書きたいけど書きたいものがないという話だ。
なぜ書きたいのだろう。おそらく胸の内で何かが渦巻いているからだ。渦の端を引っ張って出してやりたくなるのだ。ただ渦の正体は分からない。濁流が渦巻いているのだから、その内容が分かるはずはない。

分かったところで、ろくでもないものだろう。自尊心、見栄、皮肉、厭世、侮蔑、嫌悪などなど。醜いものか、外に出すと色々まずい本音ばかりだろう。自分に見えるものがろくでもないものなだけで、外から見ればおそらくもう少しマシなものもあるのだろうが、自分には見えないのでどうしようもない。

「書く」という行為は、自分の中のものに輪郭を与える作業だ。少なくとも自分にとってはそうだ。ぐちゃぐちゃなものに形を与える。つかめるものにする。枠がないとひたすらに膨張してしまうものに、無理矢理枠を与えて外に出すこともある。
今はそんなガスがたまっているのだ。だから書きながらでも、何とか輪郭を与えてやりたくなるのだろう。

しかし、今日は輪郭は与えられないみたいだ。

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