本当の自分
本当の自分が分からないなんて、思春期の少年少女が悩むものだ。青年が悩むものではない。
場面場面での自分の総体が自分で、場面場面での個別的な自分もまた自分なのだ。
そこまではいい。
問題は、自分を定めるものは何かということだ。輪郭は何となくわかる。帰納的に考えればいい。
だが、演繹的に考えるための軸がわからない。夢や希望、信念、大義がないと言い換えてもいい。
何のために生まれて何のために生きるのか、それがわからないのだ。顔がアンパンの化け物にさえわかるのに。いや、化け物だからこそわかることなのかもしれない。化け物にならなければ、そんなものは持ち続けられないのかもしれない。
ただ、ふとした瞬間に暗い落とし穴にハマってしまう。なぜ生きている。なぜ、なぜ、なぜ。
理由などないと吹っ切れれば楽だが、そういうわけにもいかないのがこういう悩みが悩みたるゆえんだ。
「お前生きてて楽しいことあるん?」
もちろん即座にyesと言えない。言えていたらこんな文章は書いていない。
「生きてるからには生きなあかんわな」
ここまで達観することはまだできない。何かしらの支えが欲しくなる。支柱が欲しいのだ。
自分を定義づける支柱が欲しい。
最近小説を読んでいるのも無意識にそれを欲していたからかもしれない。登場人物は生きている。その人生の跡を見せてくれる。それを参考にしたかったのかもしれない。
本当の自分を決定することができる日は来るのだろうか。