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「好き」は仕事にしたほうがいい派です。でもね…
右の二の腕に鉛がずしりと入ったんじゃないかと思わせるダルさと重めの痛みが数日続いて、さすがにこれはまずいと整形外科に足を運んだ。
コロナ禍が開けてから初めて病院に行ったのだが、受付の人から「マスクはありますか。なかったら着用をお願いします」と言われまして。
速攻で「いやです。絶対につけないといけないといけないのですか?」と切り返したら、「医療機関になりますので…」と。いやいや、風邪を引いて内科
会いたい人に「ちゃんと」会いたいから、上を目指して進んでいく
今回は駄文です。読んでも面白味なし。ごめんなさい。なので見出し画像もつけません。
人生で目標をあまり持たずに生きているのだが、きのうの自分よりきょうの自分、きょうの自分よりあすの自分。1つでも多くの知識を入れ、1つでも多くの行動を起こし、1つでも多くの成果を出したいと思うのは、会いたいと思った人に「ちゃんと会いたい」からだ。
テレビっ子だった小学生の時から、ブラウン管の中で活躍する芸能人への憧
年齢に惑わされるな!できる言い訳をきょうも探し求めて
テレビ報道の現場でニュース編集をする仕事を10年以上していたので、ネット記事の中身や構成には自然に目が行く。
特に見出し。見出しでPVが激変するので見出し付けは記事編集よりも時間をかける場合もある。煽るタイトルをつけるのはご法度なので、原稿の中にある事実をいかに抽出して、記事のタイトルをクリックしてもらえるかが編集者としての勝負所なのだ。
例えば最近だとこんな記事が。
とんねるず 29年ぶり
クソリプとギャンブルと風俗にいくことでしか快楽を得られないあなたへ
「人生を豊かに生きるための●●10選!」「仕事に大切な心得5選!」「彼女ができない●●な10個まとめ!」
Xでこんな見出しで画像が貼られたポストがリポストされたりブックマークされたりするのを見ると、「そんなに世の中簡単じゃないわ。アホが」とつくづく感じる。
私が書くとしたら「高卒でも幸せで豊かな人生を送るための10選!!」とか画像に貼ってポストすればバズるのかなと考えてしまうが、10選に絞りき
人間は不完全なんだけど、「私って完全!」と振る舞うバカが多すぎる的な話
私の友人3人がポッドキャストを始めた。
主役の3人は映画監督・音楽家・編集者。音楽家と編集者は私がテレビの報道現場でゴリゴリに働いていたときの後輩で、もう10年来の付き合いになる。
音楽家と編集者は2人でよく食事に行く仲で、私も交えて3人で食事に行ったこともあるし、「木村文学研究会」なるLINEグループも作って外の世界には到底発信できないことを書き込んでいる。
映画監督は「生理」を扱ったドキ
駄文:成りあがるために必要な自信をようやく手に入れた
矢沢永吉「成りあがり」を読んだ。これまで読む縁がなかったのだけど、ふと読んでみようとAmazonで取り寄せた。
人間の権利は平等であるべきだが、環境はそうはいかない。特に永ちゃんのような戦後間もない生まれ世代は格差がいまよりも激しい。あす食べるものに困る日々の子どももいれば、誕生日に生クリームたっぷりのケーキをハラパンする子どももいた。
私は昭和53年生まれ。永ちゃんと同い年の父親がいた。北海
エッセイ:性善説と性悪説は環境で決まるから、性善説環境に行こう
人を見たら泥棒と思え。
小・中・高と公立の学校に通っていたので、クラスメイトの育ちは動物園のごとく多様化していた。ちびまる子ちゃんのクラスメートたちを見るとよくわかるだろう。たまちゃん、はなわくん、永沢くん、はまじ、ブー太郞などなど。私は1980年代で公立の小学校に通っていたが、70年代の公立の学校と同じようなものだった。
クラスメートたちは「性善説組」と「性悪説組」に分けることができる。たま
フリーランス19年目の思考。「情報」の価値を正しく把握できない奴の特徴と幸せの考察と。
今回は超絶ブラックな思考的な要素を詰め込んでいます。これまで書いたような初心者向けハウツーメソッドPV稼げるオールオッケー的な内容は皆無なので、安っぽいハウツー記事が読みたい方はnote内で「フリーランス」を検索してください。アホみたいな記事が砂利道の砂利のようにゴロゴロ転がっていますので。
ビジネス本に踊らされるな、情弱ども
先日、福岡の広告代理店オフィスにお邪魔して打ち合わせをした。あるコ
人生を変えたいと思っているのに「ギブミーチョコレートバカ」なあなたへ
東京から福岡に移り住んで、3年が経った。2020年春にコロナ禍となり、外出もままならない日常生活を送る中で人生を見つめ直す時間が増え、取材・執筆の仕事も自宅オンラインでするようになったことで、「東京で暮らす意義」を考えた末、福岡という街を自ら選んだ。
2020年春から秋にかけての外出機会と言えば、番組の生放送のためにラジオ局に行くのと、昼スナックのチーパパとして週に1回、麻布十番のお店に通うこと
拝啓:できる理由よりできない理由を探しがちなあなたへ
最初に自分の文章をネット上にあげたのは2002年ごろ。ベーシストとしての活動や考えを載せたサイトを作ったときに「Diary」というコンテンツを作って、サイトの中で発信していました。
最初はレンタル日記サービスを使って発信していましたが、途中からサイトに作るスタイルに切り替えたようです。「ようです」というのは、当時の記憶が全くなく、いまでも残っているサイトにそんな「お知らせ」が書かれていました。