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人生を変えたいと思っているのに「ギブミーチョコレートバカ」なあなたへ

東京から福岡に移り住んで、3年が経った。2020年春にコロナ禍となり、外出もままならない日常生活を送る中で人生を見つめ直す時間が増え、取材・執筆の仕事も自宅オンラインでするようになったことで、「東京で暮らす意義」を考えた末、福岡という街を自ら選んだ。

2020年春から秋にかけての外出機会と言えば、番組の生放送のためにラジオ局に行くのと、昼スナックのチーパパとして週に1回、麻布十番のお店に通うことだった。

当時は外に出る人間が害悪扱いされていた。週2回、自宅のある勝どきからラジオ局がある浜松町に朝3時半に向かい、7時半には局を出て帰宅する。あの頃の大江戸線はとにかくガラガラで、強制的なリモートワークに追いやられたビジネスパーソンも大勢いただろう。

Zoomを使い始めたのは2019年。正直、かなり遅いほうだった。テレビ・ラジオ番組を作る仕事にはオンライン作業など一切なく、とにかく現場での作業・会議が当たり前だった。地方の人とも仕事する機会は一切なかったので、全く必要としていなかったが、オンラインでの勉強会に参加するため使ったのがきっかけだった。

「オンライン飲み会」なる珍事も生まれた。Zoomが世間に広がっていく中で、新たなコミュニケーションを模索しようと全国各地で開かれた。

予定していた飲み会がバタバタなくなっていくのがストレスだった。テレビをつければコロナの不安を煽るニュースばかり。この頃からテレビを見る意義がよくわからなくなった。コロナ禍の半年前にテレビ報道の世界を離れ、客観的にニュース番組を見ると、視聴率欲しさに構成をしているのがありありとわかる。だてに放送作家15年やってないから、それくらいはわかる。

コロナ禍になり、リサーチのため過去の世界的な感染症を調べていくうちに大正時代のスペイン風邪を知った。注目したのは「3年で3度の流行」という収束までの期間。流行期が何度か来て、徐々に免疫力がついて自然に収束していく。

「そうか。3年はかかるかもしれないのか。この窮屈な環境から抜け出すためには、環境そのものを変えていくしかないな」

コロナ禍が始まった最初の頃から、「戦争状態だな。これ」と感じていた。限りなく強制に近い形の国や自治体による様々な「お願い」。お願いに応じないやつはひどいやつだというレッテル張りばかりするマスメディア、まるで戦時中のような報道スタンス。

スペイン風邪当時はテレビはおろかラジオもなかったので、マスコミは新聞・雑誌・書籍のみ。情報の殆どがテキストでイラストは少なく、全国紙がなく、各地にある地方紙が報じていた。

コロナが5類になり、マスクの着用は任意という(しなくていいと絶対いわない国・ニッポン)コロナ禍が終わった。いや正確にはコロナ禍を「忘れる」状態が、「コロナ禍が終わった」という表現が正しい。

実際、スペイン風邪の収束も、世間の関心が関東大震災や第一次世界大戦の戦況に移ったからで、限りある紙面でスペイン風邪の扱い減っていったから。要はマスコミの関心が、ジャニーズやビッグモーター、宝塚の不祥事など、視聴率やPVを稼げるネタにシフトしていっただけのこと。自分の頭で何も考えられない「ギブミーチョコレートバカ」が、いかにマスコミに踊らされていたかがわかる。

コロナ禍で最も勉強になったのは、世の中にはこんなにも「ギブミーチョコレートバカ」が多いんだと知れたことだ。SNSがここまで普及したので、賢い人もバカな連中も同じツールを使う。

「ギブミーチョコレートバカ」がよく使うのはTwitter(現・X)だ。フェイスブックは基本的に実名制なので匿名希望のバカは使わない。アメブロ・インスタは「キラキラになりたい女性」が使う傾向があるようだが、実名・顔出しが多いので「ギブミーチョコレートバカ」には向かない。noteは長文を書く人が多いので、140字もまともに理解できない読解力のない「ギブミーチョコレートバカ」には読み切れない。だからこそ、ここにはバカとハッキリ書いても文句はほとんどこない。だって読んでないからw

そもそも、環境を変えるにはインプットが欠かせない。インプットの基本は文字の読み込みだ。画像も動画もインプットの手段だが、入ってくる情報の質が違う。質の良い文字はきちんとしたインプットには欠かせない。

画像や動画でインプットするなら、目の前に飛び込んできた情報を受け入れて終わりではなく、見て感じたことをメモするのが良いインプットだ。いわゆる情報の咀嚼。アウトプットだ。

YouTubeを見て学んだ気になっている「ギブミーチョコレートバカ」がごまんといるけど、それをきちんとしたインプットにするはアウトプットは必須だ。YouTubeで知った「情報」をきちんと他人にアウトプットできるか。これがインプット手法の最適解だ。

だが、「ギブミーチョコレートバカ」は考えるのが嫌いだ。嫌いというか、そもそも「考える」状態がどういう状態なのかわかっていないから、考えられないのだ。

「考える」は「悩む」状態ではない。「悩む」は数ある選択肢の中から自分好みの最適解を選ぶための状態だ。「考える」は正解のない未知の選択をするためにあらゆるシミュレーションを重ね、決断するための、自分と向き合う時間と言ってもいいだろう。

「ギブミーチョコレートバカ」は正解が欲しい。しかもすぐにでも教えてほしい。手っ取り早く効率的に教えてほしい。誰かが切り拓いた道を楽して後ろから歩いていきたい。最初に切り拓いた人の後にすぐについていくならまだいいほうで、失敗したくないからという理由である程度人が歩いた道しか歩きたくないというホンマもんの「ギブミーチョコレートバカ」もいる。

手前味噌だが、紆余曲折あったが、私は自分の道を自分で切り拓いてきたと自負している。プロミュージシャンになりたくてフリーターしながら音楽活動をしてきた7〜8年間。挫折を味わい、「なれたらカッコいいだろうな」という理由で放送作家に憧れを抱き、よしもとNSCの作家コースに入った。

卒業してから、拾ってくれる事務所を探し、何とか入れてもらったのがラッキーで、そこからすぐにテレビ報道の現場に行くことになり、放送作家歴半年にしてテレビ局で働く幸運の機会を得た。

事務所からは「半年程度、週に2〜3回」と言われてテレビ局に面接に行ったけど、週5フルタイムでガッツリ拘束という条件だった。でも、「そこそこギャラももらえるし、テレビ局で働けるならなんでもいい」と思って、働くことにした。この決断が、のちに13年でニュース原稿編集10万本以上という数字を叩き出す。1日50本程度のニュース原稿を編集して週5日・13年やればそれだけの数字になる。

「読みやすい。わかりやすい」と各方面から評価をいただく私の文章作りの源泉は、一読してわかるテレビニュースの原稿作り。落合陽一の喋りや村上龍の文章とは真逆のスタイルが、木村文学のベースになっているのだ。ここにエモーショナルな偏愛という熱量が乗って木村文学が「踊る文章」を生み出している。

原稿の編集なんて、基本ずっと考える作業だ。ニュースサイトを見るユーザーにどんな文章を組み立てれば一読で伝わるのか。見出しはどうつけるべきか。記事ページにつけるサムネイルはどんな画像にするべきか。

編集チームのメンバーと相互チェックをしながら記事を上げていく。ニュース原稿なので時間との勝負でもあった。早く上げないとニュースではなく「OLDS」になって腐ってしまうからだ。

まるで戦場のような現場だった。特に私は担当番組が全て生放送だったので、臨機応変さがとにかく求められた。突発的なネタが入れば番組構成が変わるし、情報集めに奔走した。

だから、考えないと仕事ができない現場だった。仕事ができなければほかのスタッフに取って代わられてしまうので、必死に食らいついて勉強もした。そのお陰で今の自分があると思っている。

ここ最近、仕事の在り方・捉え方が変わってきた。まず自分の持つスキルはあらゆる業界・業種でも仕事に活かせることができる事実がわかってきたので、これを使ってもっと社会に、日本に貢献できるようにしていく。幸いにも同志はたくさんいる。本気で日本を、世界を変えようとしている人たちがたくさんいる。

「ギブミーチョコレートバカ」の根っこにあるのは、自分中心主義だ。他人より自分、まず自分、徹底的に自分ファーストな会の会員ナンバー1番なのだ。そんな連中を関わりを持つのはすぐにやめよう。もし「世の中のありとあらゆることを何でも教えてくれる人がいる」と思っていたら、あなたの人生はすでに詰んでいると同義語でご愁傷様な「ギブミーチョコレートバカ」なので、すぐに考えを改めたほうがいい。

まずは笑顔から、挨拶から、ご機嫌な自分を自分でつくる。街を歩く人たちを見てると、無気力な連中や攻撃的な姿勢を見せる連中もいる。

笑顔は人を引き寄せます。タバコ休憩中にスマホ見ながら、誰かの誹謗中傷をしている時間があるなら、口角を上げて笑顔を作る練習でもしましょう。





人生を変える第一歩は、笑顔で率先してチョコレートをあげることができる人になることです。




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