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航西日記(20)

著:渋沢栄一・杉浦譲
訳:大江志乃夫

慶応三年二月二十八日(1867年4月2日)


晴。風、強く、船の動揺も、あいかわらず。

朝九時、サルジニア、コルシカの二島の間を過ぎた。

この二島は、昔はイタリーに属していたが、ここ百年というものは、仏国フランス領となっているという。

サルジニアは、そのそばに、群島ぐんとうが星を散らしたようにつらなり、それぞれひざまずいているようで、海峡は延々と曲折して、ちょうど庭園の池に浮かぶ山水さんすいのようで、天然のみょうそなわっている。

島中に、一軒の小さな白壁しらかべの家がある。

これは、イタリー国の陸軍総督ガルバルジー退隠たいいんきょであるという。

このガルバルジーという人は、六十七年前に、ケシ粒のような地より起こって、宗法そうほうあやまっていることを論じ、廃仏はいぶつ(フランスの排除)の説を主張し、奮然ふんぜんとして兵を挙げ、泰西たいせい(ヨーロッパのこと)にかがやかし、イタリー全土を完全に席捲せっけんするの勢いをしめし、その雄図ゆうとに、四隣しりんいっせいにふるがるにいたった。

功名こうみょうは、まだ失墜しっついしていないのに、しずかに隠退いんたいして、高潔こうけつ晩節ばんせつきよして、ゆうゆうと余生よせいを楽しんでいる。

その英風えいふうは、なおあおたっとぶべきものである。

コルシカは、諸山しょざん峨々ががとして雲表うんぴょうそびえ、仏国フランス初代のナポレオンの出生の地である。

当時、勃興ぼっこうする竜虎りゅうこ飛嘯ひしょう兵威へいいをもって、向かう所、山をめぐらし、海をたおすの勢いで、盛名せいめいは天下にひびき、功業こうぎょう千載せんざいに輝いたことを追想ついそうし、自然のすぐれた環境が、人傑じんけつを生むのであるという考え方の正しさに感嘆かんたんした。

風は、いよいよれ、巨船きょせんをもてあそび、英雄の余気よきが、なお消えていないような感じがする。

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