JW602 新羅を襲う民
【垂仁経綸編】エピソード24 新羅を襲う民
第十一代天皇、垂仁天皇の御世。
西暦14年、皇紀674年(垂仁天皇43)。
ここは、針間国(現在の兵庫県南部)。
日嗣皇子の大足彦忍代別尊(以下、シロ)は、若日子建吉備津日子(以下、タケ)の屋敷を訪れていた。
シロ「今年、海の向こうで、なにやら、恐ろしいことが有ったと、聞き及びもうしたが、御存知にござりまするか?」
タケ「うむ。秋津洲の者が、海を渡った話であろう?」
シロ「左様にござりまする。」
タケ「百余艘の船で、海を渡り、新羅の民から、様々な物を奪ったそうじゃな?」
シロ「そこまで、聞き及んでおられましたか・・・。」
タケ「されど、この記事が、朝鮮半島の歴史書『三国史記』において、初めて、秋津洲の者が記載されたモノとは・・・。真に残念じゃ。」
シロ「左様にござりまするな・・・。されど、なにゆえ、ヤマトの者たちは、このような短慮をおこなったのでしょうか?」
タケ「ん? 日嗣皇子よ。ヤマトとは、言い切れぬぞ。」
シロ「は? それは、如何なることにて?」
タケ「海を渡ったということは、筑紫(今の九州)の者たちであろう。されど、筑紫の民が、全て、ヤマトの民というわけではない。」
シロ「そ・・・そうなりまするか?」
タケ「これまで『記紀』に登場した、筑紫の国は、高千穂、菟狭、崗、阿蘇の四国だけじゃ。」
シロ「なっ!? ということは、筑紫の西側は、未だ、ヤマト王権に与しておらぬと?」
タケ「そう考えるべきであろうな。」
シロ「されど、新羅は、そのようなこと、与り知らぬことにござりましょう。」
タケ「うむ。ヤマトが、ことを起こしたと見られては、厄介じゃな・・・。」
シロ「大事にならねば良いが・・・。」
タケ「大王は、如何なる、お考えじゃ?」
シロ「はっ。大王は、如何とも成し難しと・・・。」
タケ「うむ。如何とも成し難いか・・・。とにもかくにも、ヤマトの飛び地となっておる、任那がことを考えれば、筑紫を何とかせねばならぬ時が、来ておるのやもしれぬのう。」
シロ「戦にござりまするか?」
タケ「なにゆえ、戦をしたことがない者は、戦を始めたがるのかのう・・・。」
シロ「さ・・・されど・・・。」
タケ「言向け和し・・・という言の葉が有る。」
シロ「言向け和し?」
タケ「エピソード84でも、解説されておるが、要するに、語らい合うことで、仲間を増やす・・・という、やり方じゃ。」
シロ「相手から、ヤマト王権に加わりたいと申し出るようにする・・・ということにござりまするか?」
タケ「そういうことじゃな。」
するとそこに、二人の姫がやって来た。
「タケ」の娘、播磨稲日大郎姫(以下、ハリン)と、伊那毘若郎女(以下、イナビー)である。
ハリン「お初にお目にかかりまする。私が『ハリン』にござりまする。」
イナビー「同じく、私が『イナビー』にござりまする。」
シロ「何度も、会うておるではないか。何を申しておるのじゃ?」
ハリン「あら、やだ。読者のみなさんに、申しましたのよ?」
イナビー「また、皇子の早合点が・・・。」
シロ「い・・・いや、まあ、こ・・・これは、読者を慮ってのことで・・・。」
タケ「これこれ、二人とも、そう、皇子を困らせるでないぞ。」
ハリン・イナビー「はぁぁい(* ´艸`)クスクス」×2
タケ「して、皇子よ。しばらく、針間に、留まられるのであろう?」
シロ「はっ。先生より、剣の技を修めんがため、罷り越しましたる上は・・・。」
タケ「それだけではないように思うが・・・。」
シロ「は? タケ先生? そ・・・それは、如何なる意で?」
タケ「さてな・・・。私は、年寄りゆえ、若人のことは、よく分からぬでな・・・。」
とにもかくにも、初の新羅襲撃の記事であった。
そして、更に、時は流れ・・・。
西暦23年、皇紀683年(垂仁天皇52)となった。
そんな、ある日のこと・・・。
ここは、国中(奈良盆地)の葛城・・・。
二千年後の奈良県御所市や大和高田市の辺り・・・。
豪族たちが、集まり、何やら語らっていた。
その内容とは?
次回につづく
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