航西日記(21)
著:渋沢栄一・杉浦譲
訳:大江志乃夫
慶応三年二月二十九日(1867年4月3日)
晴。朝九時半ごろ、仏国マルセーユ港に着く。
船が岸に着くや否や、砲台から祝砲を撃ち、ほどなく本港の総鎮台がバッテーラ(ボート)で出迎え、上陸して馬車に乗せ、騎兵一小隊が前後を護り、ガランド・オテル・ド・マルセーユという所に案内し、鎮台、海陸軍総督、市長らがそれぞれ礼服で、かわるがわるに来訪し、安着の祝いを述べた。
午後三時ごろ、フロリヘラルト(日本総領事)、ジュリイの先導で、鎮台および陸軍総督を訪問し、フランス帝の別邸を一覧し、市街を見た。
慶応三年三月二日(1867年4月6日)
晴。フランス、マルセーユ。
朝七時、馬車で、ここから十二里東の海岸のツーロンという処に行き、軍艦および諸機械を貯えてある所を見た。
この日は、天気晴朗で、四周の麦畠も、よくしげり、菜の花が開き、そのほか名も知らぬ草木の花が咲いて、旅情を慰めてくれる。
鎮台付属の官吏が出迎え、兵卒半大隊ばかりが警衛し、奏楽のうちに汽船で軍艦に乗りうつる。
大砲や蒸気機関などを見おわってから、発砲調練をして見せ、また、我々にも大砲を試発させ、それから、ほかの三隻に移った。
各船ごとに祝砲があった。
正午に上陸した。
鎮台に招かれ、昼食をおわってから、製鉄所、溶鉱炉、反射炉、そのほか種々の機械を見た。
そのほかにも、兵器庫や、人を海底に潜らせて、暗礁や、そのほか水底にあるものを具に見届ける術を見た。
この術は、緻密なゴムを縫いぐるみにして、四肢六穴に水が通らぬようにし、首には頭の形をした兜のようなものを被り、目のあたりには玻璃(ガラス)を張り、自由に見えるようにし、天窓からゴムの管を通じて水上に出し、空気を送って、幾時間でも呼吸ができるようにしてある。
この日は、水底が浅かったが、およそ四、五十分も潜ったであろう。
空気さえ送れば、幾時間でも潜れるという。