JW593 八百近い池
【垂仁経綸編】エピソード15 八百近い池
第十一代天皇、垂仁天皇の御世。
西暦6年、皇紀666年(垂仁天皇35)9月。
垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)の皇子、五十瓊敷入彦(以下、ニッシー)は、父の命を受け、川内国(現在の大阪府中部)に向かった。
池を造るためである。
そして、同行するのは、大倭の直の五十野(以下、イソノくん)であった。
ニッシー「・・・ということで、川内国に着いたよ。」
イソノくん「では、池を造るっちゃ。」
ニッシー「まずは、高石池だよ。」
イソノくん「大阪府高石市に造られたと考えられてるっちゃ。」
ニッシー「具体的な場所は、分かんないの?」
イソノくん「じゃが。」
ニッシー「では、続いて、茅渟池を造ったよ。」
イソノくん「こちらは、大阪府泉佐野市に造られたと考えられてるっちゃ。」
ニッシー「それ以上の地名が無いってことは、こっちも、具体的な場所が分かんないんだね?」
イソノくん「じゃが。」
ニッシー「ところで『イソノくん』? エピソード450って、もう読んだ?」
イソノくん「安心してください。読んでますから!」
ニッシー「それじゃあ、簡潔に説明しよう。僕の『おじいさま』、崇神天皇の御世に、狭山池が造られたんだけど、『古事記』では、僕が造ったことになってるんだよね。」
イソノくん「えっ? 大阪府の大阪狭山市半田に有る、あの池が、皇子の手によって?」
ニッシー「じゃが。凄いでしょ?」
イソノくん「まあ、実際に造ったのは、地元の人たちで、皇子は監督しただけで・・・。」
ニッシー「そういうのは、いいから!」
イソノくん「分かったに。では、池が出来たということで、国中(奈良盆地)に帰って、大王に言挙げするっちゃ。」
ニッシー「ちょっと、待って!」
イソノくん「どうしたに?」
ニッシー「『日本書紀』の記述では、翌月、国中にも池を造ったと書かれてる。」
イソノくん「じゃっどん、それらの池には、皇子が関わったとは書かれてないに。」
ニッシー「でもさぁ、続けて書かれてるんだよ? このまま行っちゃおうよ!」
イソノくん「わ・・・分かったに。」
こうして、二人は、国中にも足を運んだのであった。
ニッシー「・・・ということで、国中に戻って参りました。」
イソノくん「では、早速、解説するっちゃ。まずは、狭城池を造ったに。」
ニッシー「奈良県奈良市の水上池と言われてるね。」
イソノくん「奈良市で、最も大きい溜池やかい、可能性大やに。」
ニッシー「場所も、狭城の地に有るから、間違いなさそうだね。」
イソノくん「奈良市佐紀町のことやに。」
ニッシー「よし。じゃあ、ここまで来たんだから、母上の陵に、お参りしよう。」
イソノくん「えっ? 日葉酢媛様が眠る、狭木之寺間陵に?」
ニッシー「すぐ近くなんだ。ちなみに、遺跡としての名前は、佐紀陵山古墳って言うよ。」
イソノくん「二千年後の地名で言うと、奈良市山陵町に鎮座してるっちゃ。」
ニッシー「では、お参りしよう・・・。母上・・・。父上が、最近、女狂いになってます。どうか、父上の夢の中に現れて、𠮟りつけてやってください・・・。」
イソノくん「皇子! ここは、願い事をする処ではないっちゃ。それに『記紀』に、そげんコツは・・・。」
ニッシー「まあ、いいじゃないか。それより、次の池は?」
イソノくん「つ・・・次に造ったのは、迹見池やに。」
ニッシー「大和郡山市の池之内町に有ったみたいだね。」
イソノくん「・・・というか、池之内町そのものが、迹見池という説も有るに。」
ニッシー「えっ? 池が埋め立てられて、町が出来たってこと?」
イソノくん「じゃが。」
ニッシー「そんなことが・・・(;゚Д゚)。」
イソノくん「それから、いろんな国で、池や溝が造られたんやに。」
ニッシー「僕だけじゃなかったの?」
イソノくん「じゃが。農事の発展のために、大王が勅を出したんやに。八百近い池が造られたそうやに。」
ニッシー「八百?!」
とにもかくにも、池が造られたのであった。
つづく
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