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JW672 宇度墓

【景行征西編】エピソード43 宇度墓


第十二代天皇、景行けいこう天皇てんのう御世みよ

西暦84年、皇紀こうき744年(景行天皇14)。

謀反むほんつみたれた、五十瓊敷入彦いにしきいりひこ(以下、ニッシー)のため、墳墓ふんぼやしろが建造されることとなった。

系図(ニッシー)

ここは、纏向日代宮まきむくのひしろ・のみや

監督かんとく責任者せきにんしゃとなった、武内たけしうち(以下、たけし)が報告をおこなっていた。

したがうのは、三輪みわきみ大友主おおともぬし(以下、オート)と、葛城かずらきあたい宮戸彦みやとひこ(以下、みやさん)。

そして、大連おおむらじ側近そっきんたち、「シロ」の兄弟が、これを聞くのであった。 

地図(纏向日代宮)
系図(たけし)
系図(三輪氏:オート)
系図(葛城氏:みやさん)
系図(シロの兄弟たち)
大連と側近たち

たけし「皆様。おはつにおにかかります。私が『たけし』です。」 

ホームズ「屋主忍男雄心やぬしおしおたけおごころこと・・・『ヤヌシ』の・・・子か?」 

たけし「はい。その通りです。」 

ダッコ「赤ん坊なのに、話せるのですね?」 

たけし「はい。伝説上の人物ですので・・・。」 

カキン「されど・・・近頃ちかごろ大王おおきみは、一体、なにを考えておられるのか・・・。『ニッシー』兄上をてとめいじられたり、赤ん坊を寄越よこしたり・・・。筑紫ちくし(今の九州)で、御乱心ごらんしんあそばされたのではないか?」 

オート「そのようなことはありません。伝承にしたがったまでのこと。」 

ちね「それうたら、ふたいやんけ。」 

武日たけひ「ところで、墳墓ふんぼは、何処どこきずくつもりなんや?」 

みやさん「『ニッシー』様のみやがあったは、御存知ごぞんじにござるか?」 

オーカ「たしか・・・茅渟ちぬ(大阪府南部)の菟砥川上宮うとのかわかみ・のみやにあらしゃいましたなぁ。」 

たけし「二千年後の地名で言えば、大阪府阪南市はんなんし菟砥川うどがわ上流付近となります。」 

地図(菟砥川上宮)

カーケ「では、茅渟ちぬ墳墓ふんぼきずくのかね?」 

たけし「その通りです。その名も、宇度墓うどのはかもうします。」 

みやさん「遺跡名は『淡輪たんのわニサンザイ古墳こふん』で、墳丘長200mの前方後円墳ぜんぽうこうえんふんにござるよ。」 

淡輪ニサンザイ古墳(近景)

オート「宮内庁くないちょうにより、治定じじょうされております。」 

くにお「して、二千年後の地名でもうせば、何処いずこになるのじゃ?」 

たけし「大阪府岬町みさきちょう淡輪たんのわとなります。淡輪たんのわえきの、すぐとなりですので、行きやすいと思います。」 

地図(宇度墓:淡輪ニサンザイ古墳)

ちね「あのなぁ。わてらの御世みよに、電車なんて便利なモノは無いんやで?」 

たけし「あっ! すみません。これは、読者向けの解説でして・・・。」 

ホームズ「して・・・やしろも・・・そのに?」 

たけし「いえ、やしろは『ニッシー』様がたれた、三野国みの・のくにに建てることになりました。」 

ダッコ「きさきとなった、淳熨斗ぬのしこと『ヌーノ』が、いのっているに、建てるのですね?」 

たけし「その通りです。ですので、墳墓ふんぼきずかれましたら、その足で、三野みのおもむく予定です。」 

オート「ちなみに、三野国みの・のくにとは、二千年後の岐阜県南部のことです。」 

地図(三野国)

カキン「では『たけし』よ。兄上の墳墓ふんぼやしろのこと、頼んだぞ。」 

たけし「かしこまりました。」 

こうして「たけし」は、墳墓ふんぼきずき、そのまま、三野みのへと向かった。

そこには、当然ながら「ヌーノ」の姿すがたがあった。 

系図(ヌーノ)

たけし「『ヌーノ』様・・・。おはつにおにかかります。」 

ヌーノ「いましが『ヤヌシ』殿どのの?」 

たけし「はい。大王おおきみめいを受け、このに、やしろを建てることとなりました。」 

ヌーノ「大王おおきみ?! やめて! その名は、聞きたくありませぬっ。」 

オート「皇女ひめみこ・・・。御心中ごしんちゅうさっするモノあまりありますが、大王おおきみは、皇女の父君ちちぎみにあらせられるのです。そのような物言ものいいは、おひかえくださいませ。父君も、あんじておられましたぞ。」 

ヌーノ「父? 私の知っている父は、兄をあやめるような男ではありません!」 

みやさん「いろいろな事情があったのでござるよ。」 

ヌーノ「もう、この話は、おやめください。早く、やしろを建てましょう。」 

たけし「か・・・かしこまりました。」 

次回、「ニッシー」の社が創建される。

つづく

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