JW644 碩田国
【景行征西編】エピソード15 碩田国
第十二代天皇、景行天皇の御世。
西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)10月。
景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、宇奈岐日女神社(大分県由布市湯布院町川上)にて、解説をおこなったのち、船路にて南へと進むため、海を目指していた。
シロ「・・・というのは、作者の謀じゃ。『日本書紀』においては、豊国の長峡県より、向かったことになっておる。」
いっくん「福岡県行橋市の長尾か、もしくは、行橋市津積の景行神社から、向かってるってことですよね?」
シロ「その通りじゃ。」
ワオン「この物語は、伝承も紹介しておりまするので、時折、『日本書紀』との違いも、語らねばならぬのですなぁ。」
野見「初めから、違うと申しておけば良いものを、なにゆえ、作者は、あとから語ろうとするのじゃ?」
ナッカ「ロマンを、大切にしたいんじゃないっすか?」
野見「ロマンにござるか?」
やぁちゃん「大王! 海が見えて参りましたぞ。」
リトル「うぎゃぎゃう!」
ルフィ「キキッ!」
真白「ワンワン!」
シロ「うむ。『リトル』たちも、海を見て、喜んでおるのう・・・。」
小左「して、ここは、二千年後の地名で申せば、何処になりまするか?」
タケ「大分県大分市の辺りじゃ。」
たっちゃん「県庁所在地にござりまするな?」
タケ「うむ。その通りじゃ。」
シロ「されど、なんという大きさじゃ・・・。」
影媛「如何なされたのですか?」
シロ「この地は、まことに広く、大きい・・・。そして、美しき地じゃ・・・。」
ヤヌシ「大きいなり! 大きな国なり!」
シロ「うむ。大きな国・・・碩田国と名付けようではないか。」
おやた「たしかに・・・。『日本書紀』にも書かれておりまするな。『地形が、広大で美しかったので、碩田国と名付けたのである。』と・・・。」
シロ「うむ。して、これより、船路を進んで参る!」
こうして、一行は、船に乗り、海に出たのであった。
そして、船上では、いろいろと語り合っていた。
ウナ「結局、速津媛とは、出会えませんでしたな。」
モロキ「宇奈岐日女神社を建てた、魁帥(首長のこと)のことか?」
ウナ「そうじゃ。大王が御幸されていること、伝わっておるはずなのじゃが・・・。」
ナッカ「お腹、下してたんじゃないすか?」
いっくん「なんでやねん!」
もち「何か、訳が有るのかもしれないっちゃが。」
舟木「訳とは?」
もち「吐き気がしていたとか?」
おやた「『ナッカ』殿と、さほど、変わりませぬぞ!」
シロ「まあ良いではないか。それより、この島で、一休み致そうぞ。」
えっさん「なにゆえ、この島にて休むと?」
シロ「悪いか?」
えっさん「いえ・・・。ただ、なにゆえ、この島なのかと?」
ワオン「決まっておろう。伝承の香りがするからじゃ。」
えっさん「やっぱり・・・(;^_^A。」
シロ「ん? おお! なんと、美しい!」
やぁちゃん「えっ?」
シロ「見よ。美しき『海藻』じゃ。」
やぁちゃん「まあ! きれい・・・。」
シロ「よし! 兵どもよ、海藻を採って参れ!」
兵士(い)「大王・・・。無礼を承知で申し上げまする。」
シロ「ん?」
兵士(い)「御免こうむる!」
シロ「なっ! なにゆえじゃ?!」
兵士(ろ)「大王? 我らは、国中(奈良盆地)育ちにござりまするぞ? 潜るなど・・・不得手にござりますれば・・・。」
シロ「されど、伝承では、採りに参ったと書いておるのじゃぞ? それに、川で泳いだことくらい、あるであろう?」
兵士(は)「大王・・・。泳ぐと、潜るは、似て非なるモノにござりまするぞ。」
シロ「そ・・・そうなのか?」
たっちゃん「されど、大王の命なのじゃぞ? 得手、不得手の境なく、命に従うが、兵と申す者ではないか? 久米の子(兵士のこと)らよ?」
モロキ「『ナッカ』殿も、兵を率いる御立場・・・。何か申してくだされ。」
ナッカ「む・・・無理っすね。俺も、不得手なんで・・・(;^_^A。」
いっくん「こういう時こそ、大伴の出番やろ?」
もち「御免こうむるっちゃ! 潜るのは、不得手やじ!」
シロ「どうするのじゃ! これでは、伝承が成り立たぬではないか!」
兵士(い)「成り立ちまする。」
シロ「なにゆえ、そう申せる?」
兵士(ろ)「潜るのを得手としている御方がおりますれば・・・。」
シロ「何?」
兵士(は)「百足様! 海人の長としての御力、見定めさせていただきまする!」
百足「呼ばれた上は、出ねばなるまい! 刮目せよ! 我が力!」
どうなることやら・・。
次回につづく
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