JW587 殉葬の習わし
【垂仁経綸編】エピソード9 殉葬の習わし
第十一代天皇、垂仁天皇の御世。
紀元前2年、皇紀659年(垂仁天皇28)冬。
ここは、纏向珠城宮。
10月5日に薨去した、倭彦の墓について、話し合いがおこなわれていた。
垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)を中心に、その兄弟たち、大后、大連、大夫たちと共に、激論が交わされていたのである。
ちなみに、オリジナル設定である。
ニック「立派な陵にせなあかん・・・言うたんは『ニカ』様でっせ?」
ニカ「たしかに、立派に・・・とは言いましたよ。でも、これは、立派っていうより、残酷よ。」
イカッピ「そうよ! おかしいわよ! 倭彦に、お仕えしてた、舎人や采女たちを生き埋めにするなんて、どうかしてるわ!」
くにお「されど、異国では、殉死と申して、そのような習わしが有るのでござる。」
ヤサク「百済や新羅では、仕えし者たちを生き埋めにしておると申すか?」
武日「じゃが。漢の国でも、そんげなコツが、おこなわれちょるんやじ。」
のまお「ヤマトも、先進国の仲間入りをせねばならぬと・・・。そういうことか?」
ちね「その通りです。新羅や百済に、舐められても、ええんですか?」
チック「舐めさせておけば、いいじゃない。」
武日「そんげなコツを許したら、攻め込まれるっちゃが!」
ひばり「攻めて来る? わざわざ、海を渡ってですか? そんなことは、有り得ないと思いますが・・・。」
オーカ「大后? 新羅も、百済も、ヤマトと陸続きにあらしゃいますよ?」
ひばり「えっ?」
くにお「朝鮮半島南部の任那という国を、お忘れか?」
ひばり「あっ! そ・・・そうでしたね。」
チック「それで? 大王? どうするの?」
イク「う・・・うん。ここは、殉死をおこなうべきだと思う。」
ひばり「大王!? 正気ですか?!」
ニカ「多くの人が、悲しむのよ?!」
イク「わ・・・分かってるよ。でも、今回が初めて・・・というのは『古事記』だけの記述なんだ。だから、僕は『日本書紀』の方を採用しようと思う。」
イカッピ「ちょっと待ちなさいよ! 『日本書紀』は、何て書いてあるのよ!?」
イク「昔から、殉死の習わしが有ったと書かれてるね。卑弥呼が亡くなった時も、奴婢百余人を殉葬したと書かれてるし、特に、気にしてなかったんじゃないかな。」
一同「卑弥呼?」×12
イク「とにかく、殉死をやるよ!」
ちね「ちょっと待ってください。せやったら、何で、こないな展開になったんです?」
イク「それは、追々、分かるんじゃないかな・・・。」
そして、11月2日・・・。
この日、倭彦の墓が完成した。
イク「その通り! 身狭の桃花鳥坂墓だよ!」
ニック「身狭っちゅうのは、奈良県橿原市の見瀬町のことやで。」
のまお「二千年後も存在するのか?」
ニック「当たり前やがな。橿原市鳥屋町にある、桝山古墳が治定されてるで。」
ニカ「治定?」
ひばり「分かりやすく言えば『そのようにした』とか『そう決めた』・・・ということです。」
チック「不思議な言い方ね。はっきりとは、分からないってこと?」
ひばり「そういうことですね。」
イカッピ「じゃあ、違うかもしれないってこと?」
ひばり「ど・・・どうなんでしょう? 大王?」
イク「まあ、ロマンってことだね。」
くにお「されど、少しおかしくは、ありませぬか?」
イク「えっ?」
くにお「さきほど、身狭は、橿原市見瀬町と申しておられもうしたが、古墳の地は、鳥屋町となっておりまするぞ?」
ちね「その辺りっちゅうことやないか?」
イク「これも、ロマンってことだね。」
武日「ちなみに、形は方墳で、我が国最大の方墳なんやじ。」
のまお「されど、地図を見てみると、前方後円墳になっておるぞ?」
武日「実は・・・丸い部分は、後の世に付け足されたんやじ。」
のまお「そ・・・そのようなことが、あるのか・・・(;゚Д゚)」
オーカ「ところで、真に、殉葬をおこなわれますのか?」
イク「そう書かれている以上、仕方ないよね。」
ヤサク「では、大王・・・。倭彦の舎人や采女、奴婢を連れて参りましたぞ。」
イク「うん。それじゃあ、始めようか・・・。」
こうして、我が国初かもしれない、殉葬がおこなわれたのであった。
つづく
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